ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「徹の世界」@ソノリウム(永福町)

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まったく面白い企画を立てたものと、今更ながら、吉田貴至のプロデュース力に脱帽である。人気のバリトン歌手を、たまたま同じ名前だから、この二人でドゥオをやれば受けるという単純な発想でなかったのは明瞭。吉田なりの秘策があったと思われる。

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このところ進境著しい加耒に対し、大沼は今や押しも押されもしない、日本オペラ界が誇るトップクラスのバリトン

徹 X 徹、さらに演目には武満 が含まれ、あっと驚くアンコール曲は、船村 の「兄弟船」!徹尽くしの70分!

さて、バリトン同士となれば、二重唱と言ってもかなり限定されるから、交互にソロを歌う構成だろうと思っていたら、もちろんそれもあるが、それだけではなく、

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なんと後半の出だし、「セヴィリアの理髪師」から《私は町の何でも屋》を二人で交互にコミカルに歌って、大喝采。技量的には差が見られないからこそ、こんな離れ業をやってのけるのだろう。この演目、バリトンにはかなりきつい高音も出てくるし、例の早口言葉もあるから、並大抵の歌手同士では、到底無理な試みと思われる。

声質にはかなり差がある。言ってみれば、ディートリッヒ・フィッシャーディースカウvs.ディミトリ・ホロストフスキーの差と言えるようなものだろう。どこか温かみのある大沼の声に対して、やや重く鋭い加耒の声は対照的だ。それにしても、加耒の細身からどうしてこんな太いしっかりした声が出てくるのか不思議である。

トークも、ひょうきんな大沼に対し、どこまでも真面目な加耒、会場を笑わせまくる大沼、端正で、淀みのないトークで聴衆を魅了する加耒、これも対照的だ。

加耒によれば、若い頃から大沼に憧れていただけに、今回の企画は大いに楽しみにしていたと語っていたが、よほど嬉しかったらしく、終始笑みを浮かべていたのが、新鮮で印象に残った。

暑かったし、遠かったが、やはり来てよかったと思わせたコンサート!

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facebookからお借りしちゃいました。

#38 (文中敬称略)

 

歌劇「椿姫」@日暮里サニーホール

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合唱仲間から招待されて久しぶりにこのホールへ。

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キャストに、一人も存じ上げている方がいないので、かなり若手の方々の活躍が見られると楽しみにしていた。そして、主役3人がそれぞれ持ち味を発揮されて、上々の出来栄え。特にヴィオレッタとアルフレードを演じたお二人が素晴らしかった。

黒木亜希子は、高音も無理なく出せるし、あとは演技にもう少し余裕が出れば更に良かったと思う。また朝倉祐太の高音もよく響いていて、将来が楽しみなテノールだ。

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上の略歴にもあるように、今日の指揮者も初めて聴いたが、大変な経歴の持ち主。伴奏はピアノと、第1幕、第3幕のみヴァイオリンも加わる。一丁でも、弦が加わると俄然雰囲気が出ることが今日よく分かった。

愚亭が一番楽しみにしていたバリトン・ソロ、「プロヴァンスの海と陸」だが、声質はまことに素晴らしいのだが、多少トレモロ風のヴィヴラートが気になると言えば、気になるかな。

合唱団もよく頑張っていた。聞くところでは、下手、上手とも舞台横は階段になっているらしく、合唱団のハケも入りも本当に大変そうで、気の毒だった。

カーテンコールだが、第2幕第2場で合唱団や脇役陣を先に済ませてしまって、終幕では、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモン、アンニーナ、医師の6人だけというのがちょっと珍しかった。

ところで、椿姫なのにヴィオレッタ(すみれ)と、奇妙なことになっているが、アレクサンドル・デュマ・フィスの原作がLa dame aux caméliasであり、これをそのまま日本語にして椿姫と訳した。あくまでも原作ならこれでいいのだが、ヴェルディがオペラ化した時のタイトルはLa Traviata (道を踏み外した女)であるから、オペラの方は「椿姫」でなく「ラ・トラヴィアータ」とすべきだったのだ。「イル・トロヴァトーレ」だって、「吟遊詩人」とはなってないのだから。

ついでに、アルフレードの姓はジェルモン、父親はジョルジョ・ジェルモンなので、ジョルジョとすべきところを、なぜか父親に限って、姓だけ名乗らせるているのは不思議な話だ。

話の展開もおかしな点がいつくかあるが、オペラは大体筋立てが結構いい加減なので、いちいちそれに目くじらを立てていたも仕方ないから、やめておこう。

#37

 

「ボン・ヴォヤージュ〜家族旅行は大暴走〜」

170728 原題:À FOND(力一杯 ブレーキを目一杯踏み込む意味)仏 91分 監督:ニコラ・ブナム

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フランス人にとってのヴァカンスは1年の中での最大イベント。この一家、今年は最新装備付き新車で颯爽と走り始めたのはいいのだが・・・

整形医師の亭主、臨月の女房、悪ガキ二人、ついでに亭主の親父まで、土壇場になって合流。パリからA1という高速道路を南下、プロバンスコートダジュールへ行こうという算段だろう。

結局頼みのIC技術がトンデモの代物で、時速160kmで突っ走らせれ、ブレーキは効かない、売りつけた販売会社の営業マンに電話しても、拉致が開かず、やがて渋滞区間が近く。

最後は「ええぇ〜〜!」というまさかのオチで、まあなんとか全員無事に決着、後日談があるから、エンドロールが出ても、席を立ってはいけない。

CG使ってるんだろうけど、結構臨場感たっぷりに撮影している。セット撮影はもちろんだが、実際高速道路を使ってもいるだろうし、撮影は相当大掛かりだったと思われる。

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主役のジョゼ・ガルシアって、知らない俳優だ。名前からするとスペイン人?と思わせるがパリ生まれのフランス人。ロバート・ダウニー・ジュニア似。

今年71歳のアンドレ・デュソリエ、車上の危険なシーンの撮影は、スタントが演じたと思うが、女房に死なれてからは若い女性ばかり追っかけ回し、振られっぱなしというエロじじいで、息子一家に迷惑ばかりかけているという役どころを、普段は真面目な役が多い俳優が、結構面白く見せてくれる。

まあまあ楽しめる娯楽作品。フランス人にはどう受けたのか、興味深い。

#50 画像はIMDbから

猪村浩之テノールコンサート@町田市民フォーラム

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我が家から1時間以上かけて初めて行った町田市民フォーラムのホール、開演時間になると180席が超満員!補助椅子を所狭しと並べる有様。いやはや、こんなにも人気が高いことを改めて痛感。もちろん8割がた、女性客である。

演目:

1。松島音頭

2。初恋

3。落葉松

4。フェデリーコの嘆き(「アルルの女」から)

5。慕情(映画音楽)

6。〜もし〜(「ニューシネマパラダイス」愛のテーマ、SE、Josh Grobanでヒット)

7。Per te (「君に」、これもJosh Grobanが歌ってヒット)

8。Mi mancherai (1994年の名画、Il Postinoの主旋律に歌詞をつけたもの)

9。カンツォーネ・メドレー

  Dicitencello Vuie(ナポリ民謡、「君に告げてよ」)

  Non ti scordar di me (忘れな草

  帰れ、ソレントへ

  オー・ソレ・ミオ

アンコール

  涙そうそう

  グラナダ

というわけで、日本歌曲、イタリアオペラアリア、映画音楽、カンツォーネ、スペイン歌曲と、配分も見事な構成で、ご自分の持ち味を存分に出せたようだ。

ほとんど残響のないホールなので、生声が聴けた。上のチラシにあるように、あくまでも甘い声である。それに甘いマスクだもの、女性客が増える一方なのもよく分かる。

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ノリノリの進行役は町田イタリア歌劇団代表の柴田氏。実に愉快な人だ。以前、同じテノールの村上敏明のファンクラブ代表をしていた頃から存じ上げている。のっけにいきなりNHKイタリア歌劇団の話を始めたり、デル・モナコのギャラの話をしてみたり、聴衆を煙に巻く。

休憩なしで90分、熱唱しっぱなしで、先生、本当にお疲れさんでした!

#36 (文中一部敬称略)

「ヒトラーへの285枚の葉書」

170725 原題:ALONE IN BERLIN (ベルリンで一人)ちなみに、ハンス・ファラダの原作タイトルが「ベルリンに一人死す」103分

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実話だそうだ。考えれば、ありそうな話ではある。昔、ドイツ映画で、「白バラの祈り ゾフィー・ショル 最期の日々」(2005)という、ナチスに反対して兄たちと一緒にビラまきをしたミュンヘンの女子大生が、結局すぐ当局にとっつかまって、即刻処刑されるという悲惨な、これも実話を映画化した作品があったが、内容的には似ている。

一人息子を戦争に取られ、殺された両親が、ナチスを批判するメッセージを一枚一枚葉書に、誰とも分からないような筆跡で書いて、市内のあちこちに置くという挙に出る。無論、やがて発覚し、死刑になることを覚悟の上で。

当初は父親、オットーブレンダン・グリーソン)がすべて一人でやる予定だったが、途中から母親、アンナ(エマ・トンプソン)が断固協力すると言い張り、二人連れの行動となる。片方が監視役ができるから、効率は上がった。

 

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だが、大方の予想どおり、結局は捕まり、処刑されるのだが、一人で計画、実行したと言い張るオットーの願いも空しく、アンナも処刑される。

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この映画、カメラアングルも冴えていたが、ラストシーンがまた印象に残るものだった。ダニエル・ブリュール扮するベルリン警察の警部が、すべてが片付いて祝杯をあげるところ、オットーが書いた葉書の束を見ながら、「全部読んだのは俺だけだ。届けられなかった18枚を除いて」と言い、自分のオフィスの窓から深夜のベルリンの空に向けて、葉書をばら撒く姿と、その後に夜空に響く一発の銃声。

蛇足だが、あの時代、ドイツでは死刑にギロチンが使われていたのは知らなかった。フランスの専売特許ではなかったのだ。処刑される側は、ある意味、安楽死とも言えるが、あまりにむごたらしい。

父親に扮するブレンダン・グリーソンドーナル・グリーソンのパパ)がいい。じゃがいもような、いかつい顔がこの役に見事に生かされている。息子の死を告げる一枚の官報を受け取っても、ほとんど無表情。それだけに内面の怒りが却って痛いほど不気味に感じられる。親として、今息子のためにできることは何か、必死で答えを一人で模索する。アンナにも何も言わないで、ある日、こっそり”仕事”を始める。

そんなことをしたって、共感を抱いてくれる人がどれだけいるか、それがどれだけの打撃をナチスにもたらすか、ほとんど効果のないことは百も承知!でも孤独な戦いを続ける姿に崇高さすら感じてしまう。

我が子を国に理不尽にも奪われた例は世界中、無数にあり、類似の”戦い”も数知れず、これはほんの一コマにすぎないが、それ故に貴重な作品になっている。

エマ・トンプソンもさすがに上手い。女性に対して使う言葉ではないかも知れないが、渋みが素晴らしい!

独・仏・英の合作ということだが、ナチスが英語を喋るのはあまり聞きたくない。せっかくドイツ人のダニエル・ブリュールを使いながら、全編英語かいな。チト違和感。ま、主役二人は英国人だしな。

監督のヴァンサン・ペレーズは、ずーっと俳優稼業(「インドシナ」、「王妃マルゴ」)、ここで初めてメガホンを取ったというから、変わり種だし、才能も豊かだ。恐らくだが、これの映画化を目指したのは、他でもない彼の祖父、大叔父、叔父がいずれも第二次対戦で命を落としている家系だからかも知れない。祖父は、スペインでファシストに、大叔父はアウシュビッツで、叔父はロシアの前線で。ちなみに、父親はスペイン人、母親はドイツ人、東京オリンピックの年にスイス、ローザンヌで生まれている。

#49 画像はIMDbから