ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ROMA/ローマ」

190401 135分 ROMA メキシコ 製作・脚本・撮影・監督・編集:アルフォンソ・キュアロン(メキシコ人なので、Cuarónは、にアクセントのあるクアンと発音するのが正しい。日本では、なぜかアメリカ風にキュアロンと表記するのが一般的)

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2018年度のアカデミー監督賞、外国映画賞、撮影賞、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得。(ちなみにアカデミー作品賞は「グリーン・ブック」)

キュアロン監督の半自伝的作品。舞台は1971年のメキシコ・シティーにあるコロニア・ローマ地区。比較的裕福なメキシコ人家族の下で働くクレオという家政婦が主人公。

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この冒頭シーン。ちょっと長いが秀逸である。乾いた床面らしき市松模様にクレジットが流れて行く。やがて水が表面を濡らし、次第に水流の量が増え、やがてそこに映った空を飛行機がゆっくり通り過ぎてゆく。ここは毎朝クレオが洗剤を撒いて飼い犬の糞を洗い流すパティオ兼車庫。

ある日、家の主人が女と蒸発。残されたソフィア夫人と4人の子供たち。一方、クレオ自身も男に騙された上、身ごもってしまう。男に去られた者同士、以前より深い絆で結ばれることに。

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出先で激しいデモに巻き込まれ、車内で破水、渋滞の中やっと病院にたどり着くものの、結果は死産。

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子供4人を連れてトゥスパン(カリブ海側)の海へ出かけるソフィアは、傷心のクレオを誘う。そこで溺れかけた幼子二人を、泳ぎを知らないクレオが救出することで、彼らと気持ちが一つに。この場面は実に秀逸で、映画史上に残りそうなほど。モノクロ画面だからこその効果もたっぷり。また、小さな物音や遠くの騒音を拾う音響も大きな効果をもたらしている。

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帰路、幼な子を抱きながらクレオの目には昔の輝きが戻りかけている。

クレオオアハカ(首都から800kmほど南)出身という設定で、人種的にはマヤ系と思われる。骨格がしっかりしている割に背が低く、浅黒い。性格的にはすこぶる従順温和であり、まさしく家政婦向き。

自伝的作品ということで、フェデリコ・フェッリーニの「アマルコルド」(1972)に共通する色彩があることを感じた。

#20 画像はIMDbから

 

 

音大フェス by コバケン@カルッツ川崎

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毎回、このシリーズはミューザ川崎で聞いているのだが、今回は改修工事中のため、カルッツへ。駅から1kmちょっとで、12分ほどで歩けるのだが、なぜかもっと遠くにある印象で、あまり好きになれないホールだ。

学生奏者もコバケンにかかると、かくも壮大な演奏をしちまうもんだわいと、一人悦に入って聴いていた。ごらん⬇︎のように、好みの左サイドのバルコニー席から。

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こういうアングルから聞いた。左奥のベル型の鐘は写っていない。

前半の「序曲1812年」の終楽章では舞台手前の両サイドに置いてあるバスドラムを含めて全部で4つのバスドラが咆哮、さらに鉦の響きも、全部で6本を使用していたから、これまで聞いたことのない調べだった。

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バンダは片側10名、左側は真下で見えなかったが、多分同數がいたと思われる。

バンダの数もこの通りで、特に1階前方客には大音響だったと思われる。この撮影をした少し後で、隣のおばさまがすぐに自分のスマホを起動させて撮影に及んだ時には、スタッフが現れ、注意を受けていた。演奏中ではないのだから、少し大目に見ればいいと思うのだが。

後半はベルリーズの「幻想交響曲」。中盤までは比較的静かな展開だが、4楽章から俄かに管とパーカッションが断然忙しくなる。やはり特筆すべきは、ベル型の鐘の響きの素晴らしさ。普段は、縦に吊るした鉦が舞台袖で鳴ることが多いと思うのだが、今日の響きは、格別な音色だった。さすが若い奏者たちの集団だけに、ここいらは相当練習を積んだらしく、すばらしい仕上がりになっていた。

それを証明すべく、演奏後挨拶をしたコバケン、「アンコールは特に用意・・・」と言おうとしたところで、拍手が湧いたため、即興かどうか不明だが、「では、最後の40秒だけ再演させていただきます」ということで、珍しいアンコールとなった。

喝采、大熱狂のうちに終演、これまで聞いた音大フェスの中では出色の出来栄え!

#18

「奥村土牛展」@山種美術館(広尾)

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最初の一枚がこれ。あでやかなこと。1972年の作品。所有者のいちばんのお気に入りだろう。

当館の創業者、山崎種二と土牛との交流は、土牛がまだ無名時代から延々と続いたそうで、当時から買い上げていたというから、種二の目利きぶりがいかに凄かったということでもある。したがって当館所有の土牛作品は135点に及ぶというから驚きである。今回はその中から63点を展示。

愚亭が初めて土牛の作品を見たのは、まだこの美術館が茅場町にあったころ。たまたま勤務先が近くにあったので、昼休みに見に行ったのだが、強く印象に残ったのがこの「醍醐」と「鳴門」、そして姫路城を描いた「城」。

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雨趣 1928年 その頃住んでいた赤坂付近。まだまだ当時はこんな感じだったようだ。湿気を含んだ空気まで感じさせてくれる作品。

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琵琶と少女 1930年

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雪の山 1946年 当時、大いに影響を受けたと認めるセザンヌの感じが山の稜線などに少しだが窺える。

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奥の島影を描くか、随分迷ったそうだ。色合い、いいねぇ〜。

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茶室 1963年

101歳という長寿を全うした土牛、展示してあった最晩年ん作品は98歳で残した富士、「山なみ」。署名がそれまでのとはまったく違ったいるのが印象的。また手前の山肌が水彩画風に筆のにじみが現れていて、独特の風格を表しているように見えた。

会期は今月31日まで。

 

「サンセット」

190327 NAPSZÁLLTA ハンガリー・フランス合作。脚本・監督:メネシュ・ラースロー(「サウルの息子」'15)

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自分は一体誰なのか!自らのアイデンティティーを求め続け、やっとのことで生まれ育った家、両親が経営していた帽子屋に辿り着くも、今では人手に渡り、冷たいあしらいを受ける。確か、兄がいたはずだが、あまりに幼かったため、何も思い出せない。

映画は、思い詰めたような表情で、自らの生家である帽子屋で経営者に案内を乞うシーンから始まる。時代は1913年、開戦前夜のブダペスト

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深みのある焦点深度でのハンディーカメラ多用は「サウルの息子」とまったく同じ手法。

混乱の極致のハンガリーオーストリア帝国の中心地、ブダペスト。華やかな中にもいかにも不穏な空気が充溢している、その感じが画面から色濃く漂う描き方が巧みだ。

2時間を超える作品で、物語を俯瞰しているわけでもなく、非常に分かりにくい筋立てが難。一言でいえば、かなり観衆に不親切でもある。

混乱のど真ん中に放り込まれた感じのある主人公、最後はなんとかこのカオスから脱出できたものの、身の置き所もなく、いつしか従軍看護婦として、土砂降りの前線の塹壕の中に見出される。

一途で、思い詰めたような視線を周囲に送り続ける主人公、笑顔を一度も見せることなく幕となる。あまり後味のいい作品ではない。

#19 画像はIMDbから

「二人の女王 メアリーとエリザベス」

190325 MARY QUEEN OF SCOTS 英 124分 監督:ジョージー・ルーク(42歳、英国人女性)

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顔の造作も対照的な二人

あまりにも知られた話だし、これまで数えきれないほどの文学、戯曲、TVドラマ、映画などに登場する二人だが、本作では果たしてこの二人がどのように扱われるているのか、大いに興味をそそられた。

最もそそられたのは、史実にはないのに、あえて二人を直接対面させ、言葉を交わした場面。境遇は違えど、互いに世にも数奇な運命に翻弄された者同士、しかも血縁(映画では従姉妹として描かれているが、実際にはヘンリー7世の孫とひ孫だから、ちんば従姉妹、従姉妹違)関係にあれば、互いへの関心は強くないはずがない。

そして、メアリーは自分の運命を決定づけるいくつかの言葉をエリザベスに吐く。あまりにも、その発言に衝撃を受けたエリザベス、自分にはそのつもりがなかったにもかかわらず、次第に側近たちの言葉にそそのかされ、ついに重大な決断をしてしまうのだった。

冒頭は、黒装束で現れたメアリーが刑場に着くと、お付きのものが突如左右から衣装を引っ張り、一転真紅の衣装となる。その続きは映画の終盤で再開となる。1587年2月、イングランド中部のフォザリンゲイ城の一隅。44歳。(天正遣欧少年使節団の在欧時期と重なる)

フランス宮廷では、王妃として優雅な暮らし向きだったのもつかの間、夫であるフランソワ2世が急死、故郷のスコットランドへ戻るところから映画は始まる。この時、メアリー、19歳。

異母兄ジェームス・スチュアート、従兄弟筋のダンリー卿、実力者ボズウェル伯などさまざま人物が登場する。そこへ宗教問題(メアリーはカトリック、エリザベスは英国国教会)なども絡み、さらにピエモンテ人の音楽家、デイヴィッド・リッチョを秘書として重用するなど、まあめちゃくちゃやるもんだから、破綻は時間の問題。

彼女のおかげで宮廷内で力をつけてきたリッチョは、それを面白く思わない貴族たちに目の敵にされ、こともあろうに、メアリーの眼前で惨殺されることになるのだが、その部分がいやに生々しく描写される。

メアリーは幼少時からフランス育ちのため、母国語よりフランス語が堪能で、お付きの女官たちともしばしばフランス語で話すシーンが。仏語のできないシアーシャ・ローナン、特訓した甲斐あり、それほどの違和感のないやりとりになっている。まあ楽器や歌唱に比べればどうということもないのだが。

さて、主役のシアーシャ・ローナンだが、13歳で「つぐない」('07)にデビュー、その後も話題作に出演して美少女の名前を恣にしたが、長ずるにつれて、容貌も変化して、かつてほどのインパクトが感じられなくなったのは残念至極。アメリカ生まれのアイリッシュ。Saoirseはケルト語由来だから、発音が・・・。本人も、いつくか使い分けていると聞く。シャーシャ、スーシャ、シアーシャ・・・。現在25歳だが、19歳から44歳までを演じるには幼さ顔もあいまって、ちょっとこの役には向いていない印象を受ける。

一方の4歳年長のオージーマーゴット・ロビー、「アイ、トーニャ、史上最大のスキャンダル」('17)で、トーニャ・ハーディングを演じて話題になった女優。かなりシアーシャとは対照的。いささかごついが、野性味があり、野心むき出しという顔つきもあいまって、これはいいキャスティング。例のベッタリ白塗りやカツラを脱いでボサボサ頭になったりと、なかなかの熱演。

全体の2/3はメアリーを、1/3をエリザベスと、ほぼ交互に描き分けるという手法を取っていて、ややこしい話ながら、いちおう理解できる筋立てにはなっている。

#18 画像はIMDbから