ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「新聞記者」

190709 原作:望月衣塑子、監督:藤井道人

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東京新聞の記者、望月衣塑子は、官房長官に対する容赦ない質問を浴びせ、記者会見では内閣府からすっかり嫌われ者となり、その後の記者会見でも執拗に質問する彼女に会見を仕切る進行係官が散々嫌がらせをしたことは結構詳しく報道されていたから、記憶に新しい。

その彼女がノンフィクションをベースにしてフィクションを出版、それをベースにして映画化したもの。フィクションとは言え、すぐにそれと分かるような、例えば、森友・加計学園事件、元TBS記者による伊藤詩織準強姦事件、前川喜平などを思わせる話が次々に登場するから、まことにタイムリーで、見る側からすれば、結構面白い。

同じく新聞記者だった父親が、ある事件をすっぱ抜いたが、誤報扱いとなり、自殺に追い込まれた辛い過去を持つ記者、吉岡エリカ(シム・ウンギョン)が、政府が画策している医療系大学の新設の裏に隠された陰謀を暴こうと動き出す。

一方、内閣府の若きエリート、杉原(松坂桃李)は、元上司だった神崎が庁舎ビルから飛び降り自殺したことから、自分の所属する部署で得体の知れないなにかが蠢いていることを感じ、自らの将来を犠牲にする覚悟でその核心に迫ろうとする。

まるで父親の恨みを晴らすがごとき厳しい対決姿勢を示す若手新聞記者、そして、第1子が生まれて、これから家庭を築こうとする若きエリート官僚が、同じ目標に向かって交錯する緊迫感がたまらない。思わせぶりなラストシーンが気になるところだ。

吉岡を演じたシム・ウンギョンが魅力たっぷりの演技を見せる。日本語は実際にはカタコトらしいが、映画の中では、日本人と区別がつかないほどうまくしゃべっている。ぴたっと前を見据える黒い瞳に引き込まれる。

対する松坂桃李だが、演技は悪くないのだろうが、いやに甘っちょろいマスクがどうもこういう役には合わないように、自分には思えた。それより、彼の上司役の田中哲司が渋い演技を見せ、こちらの方が印象に残る。

いささかリアリティーに欠ける(東京新聞を東都新聞にしているのはいいとして、毎朝新聞と出しておきながら、セリフでは、朝日、読売、毎日と堂々としゃべってみたり)描写やご都合主義と取られそうな場面もあるにはあったが、こういう作品を今、世に問うた意義は認めざるを得ない気がする。平日昼間の館内はほぼ満員。ただ若い人の姿が少なかった(勤務中だから当然だけど)のが、少々残念。

意図的だろうが全体に彩度を下げているのはいいとして、内閣府のオフィス内の暗さを一体いかがなものだろうか。あんなに暗くして仕事、できるの?もちろん監督にはそれなりの意図があったろうことは想像できるが。ついでに、冒頭のシーンはハンドカメラを使って、緊迫感を出そうとしたのだろうが、画面がかなり激しく動くため、気分が悪くなった。緊迫感もほどほどにして欲しい。

たまたま7月10日、朝日の朝刊にハンセン病家族訴訟問題で政府が控訴せずと前日、トップで報じたのは誤報だったことを詫びる記事があった。そこには複数の部門で、かなり綿密に関係者に取材した結果、朝日としては相当自信を持っていたのだが、首相の最終的政治判断までは読みきれなかったようだ。謝罪の言葉に無念さが滲む。

#41 画像はALLCINEMA on lineから

 

「カルメン」合唱練習もいよいよ終盤

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左から当日指揮棒を振る高橋大海、右へカルメン役の佐間野朋美、エスカミリオの原田勇雅、そして合唱練習をほぼ一人で担ったソプラノの荒牧小百合

海の日'7/15)のチャリティーコンサートの本番が1週間後に迫ったこの日、初めてソリストが加わっての練習となった。ここ谷中の日声協本部のある観智院の下にある初音ホールは、本番の並びにして合唱団員がぎっしりとひしめく。

初めてソリストと合わせるので、合唱団もいくらか緊張気味。一通りさらって、細かいダメ出しがいくつか入っただけで、軽めに終了。いつもより20分も早く練習終了となったので、久しぶりに知り合いの団員と、いつもとは別ルートである日暮里へ出て軽くいっぱい。

今回、このシリーズでは3度目の出演となるが、最後の最後になって驚きの発見が。大学時代の友人がソプラノにいたのだ!互いに何度も顔を合わせていたはずだが、3ヶ月間気づかず、先週配布された並び順名簿を見て、初めて気づくという珍事!まあ、それだけお互い老齢になってたということだが、でもまあ気がついただけマシだろう。下手をするとそのまま本番を終えてた可能性もあったわけだから。

(文中敬称略)

ドゥオコンサート@ソフィアザール・サロン駒込

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今度、大田区の文化振興協会主催の「こうもり」で同じ舞台に乗ることになったソプラノ、種谷典子のドゥオコンの情報をFB上で知って、さっそく予約して、合唱練習の合間に雨中、駒込まで。立派な名前の付いたこのホール、民家の2階にあるミニホールで、座席数は50程度か。よく見たらその昔、ソプラノ寺田ちえみ(チエミン)のリサイタルで来たことがあったのを思い出した。

最近はこのスタイルのミニホールがあちこちに出現しているが、このホールは極め付けの民家スタイル。しっかりと表札を見ないと通り過ぎてしまうほどの構えで、玄関もごく普通の作りで、1階奥ではなにやら住人の団欒の声が聞こえてくる。そのまま2階へ上がると、自分では早く着いたつもりだったが、すでにいい席は大半埋め尽くされていた。それでも、ベストの位置に陣取れたのはラッキーだった。客は、毎度お馴染み、ほぼ高齢者。

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天井はやや高めに取ってあって、狭苦しさは感じない。

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前半は軽めの日本歌曲など、後半はオペラアリアなど、定番の構成。

種谷典子は広島出身、国立音大の声楽専攻(オペラコース)を首席で卒業した逸材。卒業後、活発に音楽活動を展開していて、すでに数々の賞を取って来ている。海外留学も経験しており、見た目以上に場数を踏んでいる印象だ。声はまごうことなきリリコ・スピント。強靭な喉の持ち主。ちょっとこういうホールでは声が突き抜ける感じで、大ホールで一度しっかり聞いて見たいと思った。

それと、イタリア語、ドイツ語、フランス語、いずれの言語も発音がすこぶる正確で、この点も大いに評価できると感じた。前半よりギアを上げた後半の出来栄えが断然本領を発揮していたのは当然か。ドン・パスクワーレなどのアジリタも、実に巧みに転がし、こんな逸材がいるんだと改めて思った次第。

表情豊か、仕種もごく自然、トークもこの年齢にしては随分慣れていて、うまく客を笑わせるなど、実にスボを心得ていて、これは予想外だった。

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前半を終わり、後半は着替えるから、撮影タイムにしま〜すと。

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二人ともなかなかチャーミング!


ドビュッシーの星の夜は、いかにもフランス的な調べが特徴の美しい曲。その次のマルクスノクターンだが、事前に解説があったが、ピアノ伴奏がとてつもなく、こんな伴奏でよく歌えるものと感心しきりであった。

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種谷典子の後半のコスチューム(fbからお借りした)

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鏡を使って雰囲気を出す種谷典子(これもfbからお借りしました)


アダンの華麗なる変奏曲(原曲はモーツァルトのきらきら星)は、以前三宅理恵の超絶歌唱で聞いてびっくりしたが、今回の種谷典子による演奏もまさるとも劣らぬ出来栄えで、超高音から低音までピアノとの掛け合いで激しく上下するパッセージも難なくこなし、唸った。

最後のマイアベーアの「ディノラー」からの影の歌とは、月下で自分の影に向かって話かける狂った女という設定らしい。一種の狂乱の場ということだが、そう言えば「ルチーア」の狂乱の場に一部共通するような楽器との掛け合いが印象的な歌だ。マイアベーアはドイツ人だが、フランスで活躍していた時代に作曲したので、フランス語が使われている。

アンコールはリヒャルト・シュトラウスの「モルゲン」(朝)でしっとりと締めた。

伴奏の齋藤亜都沙は東京出身で同じく国立で学んだ。ピアノ専攻を首席卒業というから、こちらも逸材だろう。3曲ほどピアノ演奏も組み込まれていて、存分にその華麗なテクニックを披露してくれて、こちらも大満足。まことに充実のドゥオコンサートだった。

#40 文中敬称略

キスリング展@東京都庭園美術館(目黒)

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映画の後、会期が明日までと迫ったキスリング展へ。

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美術館が入っている旧朝香宮邸へのアプローチが素晴らしい!

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正面玄関(今は開閉不可)にはルネ・ラリックによるガラスレリーフの4体の女性像が。うっかり見過ごしそうになるが立派な作品だから、しっかり鑑賞したい。それにしても、随分贅沢な玄関である。

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次室(次の間)にある香水塔。大広間から庭へとつなぐ空間には、モザイクの床、黒漆の柱、朱色の人造石の壁が使われ、中央には白磁の噴水器が置かれた。宮邸であった時代、実際に水が流れる仕組みになっていて、朝香宮妃が香水の香りを漂わせたという逸話から、「香水塔」と呼ばれていた。

モイーズ・キスリング(1891-1953)だが、クラクフ出身のユダヤポーランド人、1910年、19歳でパリへ。パリ派の画家たち、即ち、フジタ、モジリアニ、スーチン、他にピカソ、グリスなどキュビストたちとの付き合いから、さまざまな様式を学び、実験的に自分の作品にそれらを試している。

したがって、時代ごとにめまぐるしく作風が微妙に変化しており、そんな中で1930年代にやっとこれぞキスリングという作風が確立されてきた印象がある。それでも、それらも同じポーランド出身の同世代人、タマラ・ドゥ・レンピッカ(1898-1980)を思わせる筆使いが感じられるのが興味深い。

彼は第一次大戦に志願して前線へ。重傷を負って帰国、その功績からフランス国籍を得た。また第二次大戦にも志願、自分がユダヤ人であることから、ナチスへの敵愾心が強く、ナチス側からも死刑宣告が出るなどしたため、一時期アメリカに亡命。戦後、南仏へ戻った。

自分がユダヤ人であることを誇りにしていながら、モイーズといういかにもユダヤ風のファーストネームを好んでなかったらしく、署名は一貫してKislingだけを用いていたというのも興味深い話である。

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ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》 1933年 カンティーニ美術館、マルセイユ © Musée Cantini, Marseille

なにやら、伊勢丹の包装紙を思わせる色使いだが、強烈な印象を受ける。背景に緑を使うことが多いようだ。彼女の瞳、しっかりしているが、目線の先が定まらず、どこか哀愁を感じさせる。百合の花もキスリングが好んだ花の代表。

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《シルヴィー嬢》 1927年 松岡美術館

これなどもいかにもキスリングを感じさせる作品。日本の美術館所蔵のものが多いのは意外である。

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《レモンのある静物、緑の背景》 1916年 プティ・パレ美術館 / 近代美術財団 © Petit Palais / Art Modern Foundation, Genève

構図がポール・セザンヌを思わせる。

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《サン=トロペでの昼寝(キスリングとルネ)》プティ・パレ美術館 / 近代美術財団、ジュネーヴ © Petit Palais / Art Modern Foundation, Genève

色調はフォーヴィズムだ。床、テーブル、衣装に落ちる木漏れ日が画面に活力を与えている。

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《赤い長椅子に横たわる裸婦》1918年 プティ・パレ美術館 / 近代美術財団、ジュネーヴ © Petit Palais / Art Modern Foundation, Genève

一目でティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、あるいはマネの「オランピア」思わせる構図。ダイナミックな赤が強調されている。表情はどこか東洋的である。

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《カーテンの前の花束》1937年 村内美術館

画面いっぱいに盛大に花を描いた静物も結構展示されている。これも日本の画廊所蔵作。

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モジリアニが描いたキスリングの肖像

今回、92点もの展示がある大回顧展になっており、新館まで目一杯展示されていて、これは予想外。これでシニアは550円というのは、普段、この倍以上払っている身にはありがたいこと、この上なし。

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新館から庭に直接出られる設計になっているのはなかなかよい。

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新館の全貌

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久しぶりに渋谷に来たら、すでにこんなに高くなっていたビル。

 画像は同館のホームページからお借りした。

「家族にサルーテ!イスキア島は大騒動」

190706 A CASA TUTTI BENE(家ではみんな元気)伊 107分 原案・脚本・監督:ガブリエーレ・ムッチーノ

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典型的なイタリア映画。家族の絆、大家族主義、マンミズモ、アモーレ、マンジャーレ、etc. 登場人物が多すぎて、関係がよく分からないから、前半はやや退屈な場面も。

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事前にこれを見ておけば理解が早い。

イスキア島に住む両親が金婚式を迎えるというので、子供、孫、その他親戚、友達など総勢19名がイスキア島に集結。めでたし、めでたし、ガヤガヤ大騒ぎで終わる‥・・はずだったが、荒天で本土へのフェリーが欠航となったから、さあ大変だ。

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予定外のことで愛人との約束が果たせなくなりそうになる男、元カノとここぞとよりを戻す男、旧悪を暴かれやけっぱちなる男女、そこにはさまざまな、イタリアならではの家庭の事情が赤裸々になり、子供達がいるのも構わず罵り合いがあっちでもこっちでも。

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まあ、このG.ムッチーノが、やや自虐的に創ったような、いかにものイタリア映画で、笑えることは笑えるが、やがてしんみりもないし、ちょっと物足りない終わり方である。大騒ぎした連中がやっと島を離れて、元の静けさが戻り、金婚式夫妻が静かに庭でランチをする場面で_La Fineとなる。

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せっかくみんなで楽しく大声で歌っていると、フェリー欠航情報が

まあ、日本人の目から見れば信じがたい展開で、日本人でよかったと思うか、普段思っていた感情を思いっきりぶつけ合い、終わってみればまた元の鞘にみたいな世界が羨ましいと思うか、まあほとんどの人は前者だろうな。

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フェッリーニの8½にマストロヤンニと出てたサンドラ・ミーロもすでに84歳、右は「暗殺の森」、「イタリア式離婚協奏曲」の大女優、ステファニア・サンドレッリ、73歳。

イスキア島と言えば、「太陽がいっぱい」のロケ地で有名だが、1960年にはAPPUNTAMENTO A ISCHIA、日本語タイトル「歌え、太陽!」というドメニコ・モドゥーニョ、アントネッラ・ルアルディ主演の歌謡映画も日本で公開されている。

#40 画像はIMDbから。