ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ミュシャ展」

f:id:grappatei:20130411095944p:plain

130410 六本木ヒルズ52階の森アートセンター・ギャラリーで開催中の「ミュシャ展」を見て来た。彼の作品展は以前にも東京で開催されたことがあるし、また現地プラハへ旅行した際も、市内のミュシャ美術館でとっくりと見ている。でも、やはりこうして再び大掛かりな作品展があると、行きたくなる画家の一人だ。

 

本展概要について、以下、監修に当たった美術評論家千足伸行氏の解説の抜粋。

 

ミュシャ人気を支えているのは数々の独創的なポスターや、美人画と花鳥画を合わせたような華やかなカラーリトグラフ(いわゆる「装飾パネル」)。

 1895年の新春公演のためパリ中に貼り出されたサラ・ベルナールのためのポスター《ジスモンダ》で、彗星のようにデビュー。それまでは書物の挿絵のような地味な仕事をしていたのに、《ジスモンダ》の華麗なミュシャに変身したのはある意味で謎。以後、祖国に帰るまでの25年間、ミュシャはパリのアートシーンに君臨する。

 「ミュシャ様式」という言葉は装飾性豊かな様式を指すと同時に、アール・ヌーヴォーの代名詞のようにも使われるが、本展では誰もが思い浮べるようなポスター、リトグラフの名作に加え、紙ではなくシルクサテンに刷った本邦初公開の《四芸術》シリーズの他、ロンドンのミュシャ財団秘蔵の極めて質の高い作品が多数展示されている。

 第一次大戦の勃発(1914年)と同時に祖国に帰り、長らくハプスブルク帝国の支配下にあった祖国の復興に尽くし、貧しく恵まれない人々のためのポスターや、新生チェコの切手、紙幣などのデザインを(ノーギャラで)引き受けている。本展の副題「パリの夢 モラヴィアの祈り」にもそれは反映していますが、ミュシャにはまたアール・ヌーヴォー風の彼の作品からは想像しにくい世紀末の象徴主義、これとも関係の深い神秘的、オカルト的なものへの関心、パリとプラハのフリーメイソンのメンバーとしての顔など、いくつかの「知られざるミュシャ」も存在。

 

アールヌーヴォーの先駆者として、確かな画風を確立した功績は大きいし、ボヘミア地方から出たことも大きな意味がある気がする。

f:id:grappatei:20130411100046j:plain

「パレットを持った自画像」1907年頃 油彩・カンヴァス 44 x 30 cm 変わった視点からとらえた自画像。アメリカ時代の作品。割にざっくり描いているが顔だけは、丹念に描かれている。ルパシカ風衣装は、彼の民族意識の高まりを暗示しているようだ、という解説。

f:id:grappatei:20130411100548j:plain

これが問題のジスモンダを演じるサラ・ベルナールを描いたポスター。74cm X 200cmという大きなもの。1984年の作品。これで一世を風靡。以後、続々と同種のポスターがパリの街角を飾ることに。

f:id:grappatei:20130411100918j:plain

「四季」1896年 カラーリトグラフ(屏風型フレーム・エディション) 54 x 103 cm

f:id:grappatei:20130411101035j:plain

娘ヤロスラヴァの肖像 この目力に何を託したのだろう 1927-35年頃 油彩・カンヴァス 73 x 60 cm 

 優美な曲線を多用した、装飾性の高い彼の作品群は、どう見ても女性好み。会場は女性客、それも他の展覧会で見られないほど若い女性群でいっぱい。出口付近に設置されたミュシャ・グッズ売り場もえらい混みよう。主催者もほくほくだ。