さて、神殿の丘から下りると、嘆きの壁に。ニュース映像などで繰り返し見た場面が目の前に展開される。折から、成人式を祝うグループがそこここに見られ、賑やかなこと。
熱心に祈りを捧げるのはツーリストだろうか。向こうの子供たちは、無料で貸し出されているキッパという、皿状の小さな帽子を頭に載せている。聖所では、男子はこれが必要。神への謙遜の意思を表すそうだ。
成人になった男子は、式ではこのような大きな壷状のものを持たされて、一人では持ちきれないほど。
こちらはがんばって一人で持っている。
こちらは模様入りの陶製のもの。
ラビだろうか、椅子と小机を持ち込んで、終日ここで祈るのだろう。
カルドと呼ばれる、嘗てはダマスカス門とシオン門とを南北に結んでいたメインストリート。それを示すモザイク製の古地図を説明するガイド、榊原氏。地図上では、南北が東西になっている。
当時のカルドの様子を示す壁画
135年、ハドリアヌスが廃墟の上に建築したとされるが、1967年の6日間戦争で完全に破壊された。
その後、発掘し、一部はシャレたショッピング・アーケードに利用されている。
昼食後、エルサレムから南へ10kmほど移動して、ベツレヘムへ。まずはイエスが生まれたとされる生誕教会へ。椅子がないから、がらんとした印象を与える。天井から金属製のランプが下がっている。
壁画が一部だけ残っている上部壁面。
床には鮮やかなモザイクが。コンスタンティヌス帝の頃のもの。
正面祭壇にも数多くの金属製のランプがぶら下がっている。黄色い帽子の連中はどこかの国の巡礼団一行。
いよいよイエスが生まれたとされる洞窟へ入るが、一人しか通れない入り口に扇状、あるいはすり鉢状に人の群れが下る構造だから、ドえらい時間がかかる。教会へ入ってからここまで30分以上はかかった。やっと洞窟内部に入ると意外に広い。しかし、この混雑ぶりだ。
イエス誕生地点は混雑がいっそう激しくなかなか近づけない。
なにしろ一人一人が銀で星の形がはめ込まれたところに突っ伏して口づけをするのだから、夥しい時間が。われわれ日本人は写真を撮るだけだから、あっさりとその場を立ち去る。
こちらは生誕教会の北隣にあるフランシスコ派修道院聖カテリーナ教会の地下にある聖ヒエロニムスとパウラのモザイク画。
聖ヒエロニムスはヘブライ語の聖書をラテン語に訳した人物だが、モーゼの頭に2本の角があるような誤訳をしている。ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にあるモーゼ像が有名だが、モーゼの頭に二筋の光が当たったのを2本の角と思ったらしい。ちょっとほほえましい気もする話だ。翻訳に当たって、パウラさんが献身的にヒエロニムスを助けたことで、亡くなったパウラさんの頭骨をそばに置いて作業にいそしんだという、ちょっと怖い話。それで、この立像の足下には頭骨が鎮座している。
ベツレヘムから再びエルサレムに戻り、ゲッセマネの園へ。ヘブライ語で油搾りを意味するらしいが、この辺一帯は一面オリーブ林で、オリーブの精製が盛んんだったようだ。今はオリーブの古木が8本残るのみ。イエスは祈りを捧げるために頻繁に訪れた場所とか。
隣接する万国教会。随分派手なファサードだ。イエスが最後の夜を苦悶して過ごしたので、苦悶の教会とも言われる。
星空の天井画。ラベンナにあるガラ・プラチディアを思い出す。
壁画「ユダの接吻」。イエスがつかまるのは直後のこと。
丁度、ミサが行われていた。ミサの最中でも撮影はOK。
更に上へ上がってオリーブの丘から市心を見下ろす。岩のドームがやはり目立つ。手前はお墓。(続く)