ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「フィツカラルド」

131210 原題もFITZCARRALDO 1982 西独 157分と長尺。「アギーレ/神の怒り」から10年目の作品。同じく[監][脚][製]はヴェルナー・ヘルツォーク、[出]クラウス・キンスキー、クラウディア・カルディナーレ 因に両作品を2本立てで鑑賞(キネカ大森)

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この作品もアマゾン川が舞台になっており、これも「地獄の黙示録」を彷彿とさせる内容が一部にある。タイトルは人名、それも実在した男の名前。本名はブライアン・スウィーニーフィッツジェラルド。姓から分かるように父親はアイリッシュ系、母はペルー人。インディオたちには発音不能で、フィツカラルドと。(アラビアのロレンスが現地人たちからオレンスと呼ばれていた話に通じる)

 

アマゾン川上流のイキトスにオペラ座を作ろうとした人物のほぼトゥルー・ストーリー。イキトスは河口から3700kmも離れているが、3500トン級が遡れる。陸路によるアクセス、不可。他は空路のみ。ペルー領である。

 

夢みたいな話を本気でやっちゃおうとする、一見ロマンチストだが、余りにハチャメチャな男もいたものだ。そういう稚気のある男っていうのは、特に女性には案外魅力があるもので、資金を供給するような、金持ちの女がどこからともなく現れたりすることが多いようだ。

 

この男にも、娼館を経営する女主人(クラウディア・カルディナーレ)が、なにくれと面倒を見てくれることに。クラウディアさん、久しぶりに見たが、1982年当時は、まだまだきれいだ。口元はドイツ語ではないから、調べたら、独語しゃべれる俳優がキンスキー以外にいないというので、英語でしゃべらして、後で編集したようだ。

 

いずれにしても、オペラ座を、そんなド田舎に建てようってんだから、まずは資金造り。最初は製氷業に眼をつけるが、既に時代遅れってんで、今度はゴム園を作って一稼ぎをもくろむ。その為には現地調査が、ということで大型の船でアマゾン上流に出かける。ところが、先住民に囲まれ、万事休すと思われたところ、意外や、彼らの協力で、船で山越えという途方もないことを考えつく。(東ローマ帝国を攻撃するオスマン・トルコ軍が、船の山越え戦法を用いたね、確か)このシーンが何と言っても圧巻。CGもミニチュアもなし。すべて実際にやったらしいからねぇ。

 

なんで、彼らが協力したかには訳があって、後にフィツカラルドの知るところとなるのだが、ま、それはこの際、省略。

 

成功を信じて有頂天になったフィツカラルド、マナウスから楽団、オペラ歌手、合唱団、大道具などを小舟で運び、大型船に移して、イキトゥスで船上オペラと洒落込む。甲板上で赤いフェルト張りの椅子に、長い特大の葉巻をくゆらすフィツカラルド、地元有力者の前を、得意絶頂。なかなかのラストシーンだ。演目はベッリーニの「清教徒」から”A TE O CARA”

 

そう言えば、冒頭もマナウスのオペラ座でカルーソが歌うヴェルディの「エルナーニ」でスタートする。共演は何とサラ・ベルナールだ。勿論、彼女は歌わず、舞台下で本職のソプラノが歌うという、何とも奇天烈なオペラがあったもんだ。

 

オペラ歌手、実際にはどんな本職が歌っていたのか調べても知らない歌手ばかりだが、唯一、ソプラノのミエッタ・シーゲレの名前が。彼女は、1963年10月、東京文化会館で「マダム・バタフライ」のタイトルロールを演じている。

 

この作品の撮影は、「アギーレ」が楽だったと思わせるほどの苛烈さを極め、当初予定されていた主役俳優陣が次々に脱落、最後にクラウス・キンスキーの出番となったらしい。その彼も、余りの辛さに、撮影現場では、周囲に暴言を吐きまくり、撮影協力した先住民も怒り出し、監督に、なんなら殺してやりましょうかと申し出たほどだったとか。

 

こんな凄まじい撮影秘話って!!

 

 

#103 画像はIMdbから