ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「支倉常長像と南蛮美術―400年前の日欧交流―」

140220 更にトーハク本館7号室で開催中の特別展へ足を伸ばした。既にかなり疲労困憊していたが、この機会を逃す手はない。下の大きな支倉常長の肖像画の他には、当時の重要文化財南蛮人渡来図屏風(6曲1双)、同じく重要文化財世界図屏風(6曲1隻)と彼ら一行の行程図のみで、15分程度で見られる。➡この特別展の詳細

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⬆これはローマ教皇パウロ5世に謁見するため、ローマに入市した際の晴れ姿をイタリア人画家 Archita Ricci (アルキータ・リッチ)が描いた「支倉常長像」。近くで見ないと分からないのだが、わずかに口を開けていて、前歯2本がのぞいている珍しいもの。

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⬆参考までに、こちらは仙台市博物館所蔵のもの。表面の傷が目立つが、雰囲気は両作品に共通する。(今回の特別展には出品されていない)

彼ら一行が月の浦を出て、東周りで取り敢えずスペインを目指したのは1613年である。(帰国は実に7年後の1620年)藩主伊達政宗徳川家康の許可を得て実施したのだが、狙いはスペインとの通商交渉だが、実はスペインの力を借りて倒幕にあったとする興味深い説も。

ところで、日西交流400年は、この支倉一行の快挙を基にしているが、実は、彼らより30年も前の1582年に、例の天正少年遣欧使節団が訪欧しているのだ。

彼らは、支倉らとは別ルート、即ち長崎から西回りでマカオからゴアに達し、そこからリスボンへ向かい、後は陸路でマドリッドへ。そこでフェリペ2世の歓待を受けた後、マジョルカ島から海路イタリアのリヴォルノへ。ピサ、フィレンツェを周り、ローマで、時の法王グレゴリオ13世に謁見している。後、ヴェネツィアヴェローナ、ミラノなども訪問して、なんと8年後に帰国している。

何故この少年使節団の訪欧を基にしていないか、その理由は、彼らは九州のキリシタン大名大友宗麟ら)から派遣された、言わばキリスト教徒の巡礼、本山詣で、正式の外交使節団とは異なるからということのようだ。

特別展のpdf.➡ http://20140211hasekura_leaflet.pdf