ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

アンコールワットとベトナム縦断の旅へ 6(最終回)

140323 旅もいよいよ終盤、6日目は、ダナンから空路ハノイへ。更にバスで一気にハロン湾を目指す。途中かなりの悪路が待ち構えているから、180kmなのに3時間もかかるわけだ。気温は一気に下がって、皆、すでにダウンまで着込んでいる。いくら北部ベトナムとは言え、沖縄、台湾よりずっと南で、中国の海南島とほぼ同じ緯度なのに、何故?特殊な気候帯なのか。

最後の宿泊ホテル、ASEAN HALONG HOTEL(ヘンな名前だが、アセアン、つまり東南アジア諸国連合とは無関係とか)へ到着したのは10時半を回っていた。高層ホテルで、一見豪華そうに見えたのだが、部屋に入ってがっくり。本旅程中最低の空間である。まず施設が古過ぎて、とても4星と言えるシロモノではない。終りよければ・・・の筈が、もったいない!

最終日、3月15日(土)、朝起きて窓を開けたら、小雨まじりの空。がっかり。それでもホテルを出る頃には、ほぼ雨も止んで、寧ろハロン湾水墨画的景色を見るにはおあつらえ向きかも知れないと、団員たちも話し合っている。

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 BAI THO 35が我々の乗る船。

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乗船したら、既にスタッフたちが我々の昼飯の準備にとりかかっていた。生春巻きを作っている。尤も一人はスマホを操作しているようだが。

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さっそく果物売りのボートが近寄ってきて盛んに声をかけるが、反応なし。

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しばらくすると、鍾乳洞で有名な小島へ接近。既に先着組,多数。

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DUC(徳)という名前の現地ガイド、これから鍾乳洞に入るためか妙な帽子をかぶった。

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チト人工色が強すぎるようにも感じるが、こうして照明を当てることで、よく見えるから、我慢しよう。それにしても広いなぁ〜。

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秋芳洞を遥かに凌ぐスケールに驚嘆あるのみ。

⬇再びBAITHO 35で出航、途中、生け簀のボートに立ち寄って、お昼の食材を仕入れる。

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個人的にハマグリを購入したおばちゃんトリオ。

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この時間帯だと、ハロン湾を見るにはベストな天候に。こうした絶景を見ながらの船上でのランチは、朝食後それほど時間が経過していないにも関わらず、多分全行程を通じて一番美味しかった!やはり食材が新鮮そのものだったからね。

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夫婦岩付近は多数のボートが犇めく。

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 下船して、再び悪路を3時間かけてハノイへ移動。まずは市内にある孔子廟へ。

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ガイドさんの顔に日付が入ってしまったが、ここがホーチミン廟。モスクワのレーニン廟や、北京の天安門広場台北蒋介石を祀る中正紀念堂と似たような趣きである。

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丁度衛兵交代の時間にぶつかった。

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一柱寺

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確かに一本の柱で立っている。元々は1094年に建てられた仏教寺院、延祐寺の一つの楼閣。しかし、ディエンビエンフーで仏軍が敗北し、インドシナ半島から撤退する際に、ここを爆破したというから、仏人も随分野蛮なことをするものだ。現在のものは1955年、ベトナムによって再建されたもの。柱がコンクリートなのがいささか興ざめである。

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街を歩いて驚いたことの一つは、店が歩道一杯に品物を並べるから、歩行者の歩く場所がない。仕方ないから車道の端を歩くのだが、そこへひっきりなしにバイクが通るから、危険この上ない。ったく、困ったものだ。

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夕食前に水上人形劇を見に。既に客席はいっぱいの盛況。

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やがて楽団と歌い手が登場。

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水上というが、まさしく、腰から上だけが見える仕掛け。

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人間の子供ぐらいの背丈の人形やら動物が入れ替わり立ち替わり登場する。

言葉は分からなくても見ているだけで、結構楽しい。

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どういう仕掛けかと思っていると、最後に人形を操っているスタッフが10人、こうして登場する。マリオネットということだが、水中で長い棒を伸ばして人形を操作しているようだ。小一時間、腰から下は水中にあるわけで、それはそれで結構大変なことだろう。

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最後の晩餐はフレンチ。構えはそこそこだが、内容は・・・・??わざわざ行程に入れるほどではないと思った。

こうして8日間の旅は全員、トラブルもなく終了。深夜便で成田に向かった。帰路は偏西風の関係で、所要時間は正味5時間弱。その間、映画を一本。ロバート・レッドフォードの「オール・イズ・ロスト」感動作。せりふがほとんどないのが珍しい。そう言えば、往路、ホーチミンまでは「ブルー・ジャスミン」を見た。この作品で、主演のケイト・ブランシェットが主演女優賞を受賞した。

ということで、慌ただしく8日間のツアーは無事に終了。シエム・リアップはたった2日間だったが、高齢者が多数だったのに、実に精力的に動き回った。カンボジアは正に観光立国、アンコールだけで食っていると言うのは言い過ぎかも知れないが、仮にこの寺院がなければ、入国者数ががたっと減って、お隣のラオス並みになることは間違いない。アンコール、さまさまである。

ベトナムは極端に南北にひょろ長い国だけに、南部,中部、北部と、それぞれまったく別の顔があって、面白かった。サイゴン時代に2度ほど寄港しているが、米軍が駐留していて、物騒な雰囲気だったことを思い出す。今は凄まじいばかりの活況を呈していて、ベンタイ市場の熱気には参った。

落ち着いた雰囲気の中部は期待以上にすばらしく、とりわけホイアンの街並は、ある種懐かしさを感じる時代的雰囲気に満ちていた。気候も暑からず寒からずで、住み易そうだ。軍港だったダナン周辺には主に米資本の大型宿泊・リゾート施設がずらりと並び、将来的には中部ベトナムの中心になりそうだ。

北部は、まず気温の低さに驚かされた。台湾最南部とほぼ同じ緯度というのに!ハロン湾クルーズでは、ちょうどおあつらえ向きの曇天下、水墨画の世界に浸れて幸いだった。ベトナムの平均年齢は、何と25歳。日本とは正反対の位置にいる国だ。人口は既に1億に迫る勢い。40年後は今の日本を凌ぐ国家になっているだろうか。

1986年にスタートしたドイモイ(刷新)政策はまだ続いているそうだ。経済的にはインドシナ半島でゆるぎない地位を築いているが、政治的には、社会主義国ゆえの悩みは引きずったまま、しばらく行くのだろう。勤勉で真面目な国民性だけに、どんな発展を遂げて行くのか楽しみだ。

さて、次回はどこへ行こうか。カミさんはこの旅がすっかりお気に召して、日頃嫌がるツアーで、また行きたいと言い出した。