ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「もうひとりの息子」

140404 原題:LE FILS DE L’AUTRE(他人の息子、註:「もうひとりの息子」ならL’ATURE FILSになる筈だが・・)2012 仏 101分 [監・脚]ロレーヌ・レヴィ (パリ近郊生まれ、55歳の太ったおばちゃん - どうでもいいことだが・・)

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新生児の時に、当時の混乱で取り違えたと聞けば、是枝和裕監督の「そして父になる」を思わない訳には行かない。どうしても、比較しながら見ることに。

 

ただし、こちらは先ず舞台がイスラエルの首都テルアビブと、その近くの西岸地区。湾岸戦争時のドサクサで、取り違えられた男の子たちも既に18歳、というところが大きな違いだ。

 

なにせ当事者がユダヤ人vs.パレスティナ人と、不倶戴天の敵同士ときているから、話のややこしさは「そして・・・」どころの騒ぎではない。

 

国民皆兵のイスラエル、兵役期間が近づいたヨセフ(名前からしてバリバリのユダヤ人)、健康診断での血液型が両親のものと違うことが話の発端。父、アロン(これまた旧約聖書出典)は、女房オリット(エマニュエル・ドゥヴォ、目ぢからがハンパでない!)の浮気を疑い、平穏な一家にも暗い影が。

 

調べて行くうちに事実が判明、致命的なミスを犯した病院も正式に両家に謝罪し、二家族を病院で引き合わせる。ここらあたり、「そして・・・」と類似。

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こういう状況になると、母親同士⬆というのは、うろたえながらも共感し合える部分があるから、すぐ打ち解けるのだが、男同士は、そう簡単には行かない。それに不倶戴天の敵同士だから、話し始めるうちに相手を罵り合うような結果に。

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相手のヤシン(右)は、パリでバカロレア(一種の大検)に受かり将来は医者になるという、こちらもなかなかの好青年で、家族同士,特に兄とは大の仲良し。パリから帰国した際も、土産に買ったお揃いのTシャツを着て、兄弟二人で、さっそく近所の仲間達とサッカーに打ち興じるほど。 

 

左のヨセフは色白で、もっさりした顔、右のヤシンは色黒でくっきりした顔だから、キャスティングは逆の方が自然だと思うのだが・・・。それとも、それゆえにこそ取り違えられたか。

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 ⬆ある日、ヤシン一家を自宅に招くヨセフ一家。表情も固く玄関口に立つアラブ人一家。しかし、案ずるより・・・

こうして両家にとっては、思いっきりデリケートな問題でもあり、しばらく様子を見守るほか、打つ手なし状態。幸い、当事者が二人とも、一時的なショックから立ち直り、事実をありのまま受けとめようと前向きなので、事態は好転し始める。

 

それぞれが相手の家に行き、相手の家族と打ち解けようと努力するシーンが健気で泣けて来る。特にヨセフが検問を越えて、西岸地区の、言葉も通じない分かりにくい土地に分け入りながら、やっとヤシンの家を探し当て、夕食を「新しい」家族と共にする場面が感動的だ。

 

食事中、突然、古いアラブの歌を朗々と歌い始めるヨセフ、自然にそれに和するアラブ人家族。ミュージシャンを目指すヨセフだからこそ知っていたのだろうが、敵対するパレスティナの歌をこんなに上手く歌うのは、よくよく考えればチト不自然でもあるが、この際、それはどうでもいい。

 

こうして周りの心配をよそに当事者同士がすっかり仲良しになって、当初、こりゃ解決できないのかと思わせた難問を、見事に解決してしまった、何か人智を越えた摂理のようなものを感じさせる展開に思わず拍手だ!

 

こういう複雑な土地柄は、行ってみてもなかなか日本人には理解しにくい。なにせ旧約聖書のころからの絡み合った間柄なのだから。どこかの場面で出て来た、「我々の祖先はアブラハムの子、イサクとイシュマエル・・・」というセリフが象徴的で、元々は同じルーツだったアラブとユダヤ、理解し合えぬ訳がないと思うのだけどね。

 

それにしても、ヨセフの家族はフランス系ユダヤ人だから、ヘブライ語とフランス語、一方、ヤシンの家族はアラビア語。でも、ヤシンはパリ留学しているから、当然仏語堪能。ついでに母ライラも、何とか仏語OK。自動車修理工の父サイードは英語なら、という複雑さ。

 

#28 画像はALLCINEMA on lineから