ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「猿の惑星:新世紀(ライジング)」

140923 原題がDAWN OF THE PLANET OF THE APES猿の惑星の夜明け」であるのに、なにゆえにこのような邦題になったのか。前作のジェネシス(創世記)の続編であることを示したかったのだろうが、ご丁寧にも(ライジング)などというカタカナまで入れる懲りようは一体どうしたことか。

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先に見た娘が盛んに勧めるので休日にも関わらず観に行ったが・・・・いささか期待はずれ。前作のその「創世記」を見ていないから、コメントし辛いのだが。

そう言えば、そもそもの第1作は1968年公開というから、半世紀近くも昔になる。映画館に足を運んでみたのはこの第1作のみで、ほかの作品はテレビで見たような気がするが定かではない。5作までは第1作の続編で作られ、その後、一旦仕切り直したらしい。

前作では、ウィルスでほとんどが死に絶えた地球上で、小競り合いを繰り返しながら、それぞれの領域に共存していた人間と猿という関係だった。

だが、猿と違って少しでも文明を享受したい人間が、どうしても電力が必要になり、猿の領域に残っているダムを再起動させようとすることで、猿と衝突してしまうところから本作は始まる。

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 ⬆主役はシーザーと称するボス猿。他の猿と異なり、人間に育てられた過去を持つので、殊更分別臭い顔をしているし、人間的感情を備えている。それゆえ人間を敵視することにどこか躊躇いがある。

隣は一人息子のブルーアイズだが、そんな父親に反発して、反対勢力の頭であるコバに憧れを持つ。コバは見るからに醜く凶暴な顔をしていて、人間には憎しみ以外の感情がない。

やがて、恐れていた通りの複雑な展開、即ち、人間vs.猿は勿論だが、人間vs.人間、猿vs.猿という流れに。

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猿は仲間を殺さないとする掟を自ら破ることになるのか、シーザーが一瞬コバを救うかと見せて「コバは猿ではない」と、その手を放し、コバははるか奈落の底へ落ちていく。

⬆結局、互いに互いの気持ちになれるシーザーとマルコム(ジェイソン・クラーク)だったのだが、それぞれの種族のために袂を分つ辛い決断をするしか選択肢がない。いかにも続編を示唆する終わり方だ。

第1作から半世紀、特撮効果の進化を最も顕著に示すシリーズになっている。猿の細かい表情が実にリアルに表現されていて、驚く。エンドロールに登場するスタッフの数の多さよ。千人をはるかに超えると思われる人名が刻まれる。それぐらいCG/SFX陣が多数採用されたということだろう。

テーマには、多くの事柄が含まれている。中でもエネルギー問題、環境問題、家族問題、反抗期、などなどと結構考えさせられる。ただのエンタメ作品と思わないで見た方がよい。

ただ、いくら知能が発達したとは言え、旧態前たる生活をしている猿と、文明の利器を使いこなして進化していく人類とでは、勝負にならないと思うのだが、そんな見方は、このシリーズに関する限り、余りに皮相に過ぎるのか。

#78 画像はALLCINEMA on lineより。