ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ターナー、光に愛を求めて」

150623 原題:Mr. Turner 英 150分 [脚・監]マイク・リー(「ヴェラ・ドレイク」2004)

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画家を描いた作品、これまで数知れず。全部見た訳ではないが、本作はその中でも、かなり異色な出来栄えではないか。この不器用で、ぶきっちょ、無愛想な男が、生涯をかけて追い求めていたもの、副題にあるように「光」をどうキャンバスに残すかの一点にあったのだろう。ま、これはフェルメールレンブラントにも共通項だが。

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どこまで真実に基づいているか、寧ろマイク・リーの想像の世界が半分以上という印象を受ける。一度は結婚して、子供もなしたが、余りの奇人・変人ぶりに恐れをなしたか、妻子とは離別、父親と家政婦の3人で窮乏生活を送っている。

この父親と息子の心理的距離が異常なほど近い。結局、J.M.W. ターナー(1785-1851)を一番理解していたのは父親だったということか。父親役が若すぎて(ティモシー・スポールと11歳違いのポール・ジェッソが演じている)リアリティーに欠けるのが難。

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映画のスタート時点で、すでにそれなりの名声を気づいていたターナーだが、やはり賛否の分かれるところが多分にあって、見に来たヴィクトリア女王夫妻からは「汚い絵ねぇ」と酷評される場面が出てくる。いわば朦朧体のような画風が、正しい理解を得られるのには、相当な時間がかかっただろうことは想像に難くない。

終盤、彼の絵を絶賛するある富豪が、一括10万ポンドで買い取ろうと申し出るが、即座に断っている。ここが凄い場面で、曰く「タダで寄贈するのよ。国家にね。そして同じ場所で皆に見てもらおうと思ってね」とボソリ。まあ、彼の遺言のような、この一言は、やがてテート・ギャラリー(現テート・ブリテン)などで、一部が実現されることになる。

とかく、天才的な芸術家に、偏屈で、変わり者が少なくないが、彼もそんな一人だろう。少なくともここに描かれているターナーはそうである。始終ゴボゴボと、汚れた乱杭歯でモゾモゾ話し、もっさりと、鈍牛のように徘徊し、極端な世渡り下手。愛情表現も直情的で、およそ情緒というものが感じられない。(尤も、24歳の時の自画像を見る限りでは、やや神経質そうな、線の細い印象で、本作で描かれている人物とはえらい違いだが)

それでも、彼を慈しむ人間が出てくることは救いである。晩年、彼の身の回りの世話を焼いたのはもともといた家政婦の他に、スケッチでしばしば訪れていたマーゲートの旅籠の女主人。彼女がジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの最期を看取る。映画のエンディングは、しかし帰還することのない主を待つ実家のアトリエ、そして家政婦であった。

圧巻だったのは、「解体されるために最後の停泊地に曳航される戦艦テメレール号」の場面。

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それと、「雨、蒸気、スピード」⬇︎。映画で使われた1830製ロバート・スティーブンソンのPlanet locomotiveのレプリカは、マンチェスター科学産業博物館から撮影のために借り出され、北ウェールスで走行、借り出し期間は僅か1日だったため、夕日を背景にワンチャンスで撮影されたとか。

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なお、原題はあっさりとMr. Turnerというところは、前回見たBerthe Morisotと同じ流れだ。でも、こっちの邦題は悪くない。

#48 画像はIMdb及びALLCINEMA on lineから