150724 この稀代の天才絵師は、暁斎よりやはり元の名前の狂斎の方が似合う異彩ぶりを放った絵師。詳細→画鬼暁斎
本人は狩野派の流れを組む、ごく正当な絵師と任じていたようだが、何を描かせてもとにかく上手すぎ。却ってこれが世の中が彼を正当に見ることができなくなったという説もあるらしい。ある種、器用貧乏画家と言えるのかも。
あらゆるジャンルを画題にしているが、風景画はかなり数が限定される。人物画に、面白いものが多い。「放屁合戦図」など、吹き出しながら鑑賞。春画コーナーを設けたのも三菱一号館美術館にしては、英断である。尤も、若い女性たちと一緒に鑑賞するのは、なんとも気恥ずかしいものであるが。
それしても、この絵師の諧謔精神の発露は、ちょっとほかの追随を許さないほど。また筆の勢いの凄まじさは、勧業博覧会で、絵画部門最高賞を取った「枯木寒鴉図」⬇︎に明らか。この代表作は、入口を入った正面に掲げられている。墨の濃淡だけで、ここまで描けてしまうのは天才だからとしか言いようがない。
他にさまざまなスタイルの作品群があったが、やはり「竹虎之図」、「柳に白鷺図」、「柿に鴉図」、「月に狼図」などなど、枯木寒鴉図に類する作品にこそ暁斎らしさが出ていると思うのだが。
そして弟子のコンドル、画名暁斎の一字と英国を組み合わせた暁英。ご存知の明治時代に来日したお抱え建築家の一人。早くから暁斎の作品に接して、その余りの凄さに驚嘆し、弟子入り。瞬く間に驚くほどの才能を開花させ、多くの墨絵作品の残している。さらに、間近でつぶさに暁斎を観察していたこともあり、彼の業績をしっかり後世に残そうと、河鍋暁斎画業を示す大部の著書を著している。
ちなみに、三菱一号館は彼の多くの作品の一つ。