ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「黒田清輝回顧展」@トーハク

160323 トーハクこと東京国立博物館開催中の特別展へ。

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午後1時半頃に、家を出たら、トーハク平成館着が2時15分と、予定よりかなり早めに到着。こりゃ混んでるんだろうと覚悟したら、意外にも結構空いていて、ゆったり見られたのはラッキーだった。

当初の予定では、この後、西洋美術館に回って「カラヴァッジョ展」を見ようと思っていたが、考えが甘かった。それほど、充実した黒田の回顧展で、たっぷり90分もかかり、すっかりくたびれて、カラヴァッジォどころではなくなってしまった。欲張りは禁物。年齢を忘れていた。

それにしても黒田の作品をよく集めたものだ。ほとんどがトーハク所蔵というのも驚き。他は鹿児島他、国内の美術館、もちろんフランスからも少なからざる作品が。

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⬆︎あまりにも有名な「読書」。これでル・サロン入選を果たし、フランス画壇で知られるきっかけとなる。モデルは、黒田が1890年から数年住んだパリ南郊グレ・シュル・ロアン(Grèz-sur-Loing)下宿先の娘だ。

愚亭は、今から8年ほど前に、一度わざわざパリからこの村に出かけたことがあるが、それこそなーんにもない田舎町。ロアン川(Loing)という小川が流れていて、ちっぽけな教会があるだけで、よくぞこんなところに数年も住んだものという感慨だった。

むしろ、彼が尊敬するミレーがいたバルビゾンでなかったのは、何か理由があったのだろうか。彼の後、浅井 忠和田英作らもこの村に滞在している。現在も”黒田清輝通り”というちっぽけな路地が存在する。

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ちょっと小さいが、日本人画家 黒田清輝通り とある。

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彼が2年間厄介になった家の壁には、こんなパネルがはめ込んであった。

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ロワン川にかかる古い橋

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さすがに今では使われなくなった古い洗濯場跡(2004.9 いずれもGrèz-sur-Loingで撮影)

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⬆︎現在、芸大所蔵のこの作品「厨房」は、「読書」の翌年、同じ娘をモデルに描いた、これまたなかなか素晴らしい作品だが、こちらは落選の憂き目に。確かに「読書」に比べると、どこか硬い印象を受けてしまう。

もともとは法律の勉強で、18歳の時に鹿児島から渡仏。これが1894年で、横浜からマルセイユまで、スエズ経由40日ほどかけている。ちなみに愚亭は1964年に同じ航路で33日を要している。80年後でもあまり違わないから不思議だ。

ともあれ、たまたまパリにいた山本芳翠らと知り合ってしまったものだから、画業こそが自分の追い求める道と思い定める。鹿児島の養父に、画家になる決意を認めた覚悟の手紙なども会場に展示されている。

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そして、師事することになるのが、ラファエル・コランという、⬆︎「フロレアル花月」など、もっぱら春景色と裸体の組み合わせばかり好んで描いた画家である。この先生を通じて、ピエール・ピュヴィ・ドゥ・シャヴァンヌなどの当時の大物とも知り合い、後に大きな影響を受けることになるから、人の運命とはつくづく不思議なものだ。

フランスに9年ほどいてから、1893年に英仏海峡のブーローニュ・シュル・メールからアメリカ経由で帰国する。そして、その直後に京都で描いた「舞子」が、これ。⬇︎

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それまでの日本人が描く洋画とは明らかに異なる手法で描かれた本作の斬新さに、世間はさすがに驚いたらしい。

さらに4年後、後に夫人となる照子を箱根で描いた「湖畔」は、言わずと知れた黒田の代表作。

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日本にもアカデミズムを樹立しようと奮闘する中で描いた作品の一つが、師、ラファエル・コランの影響を色濃く受け継いだ「野辺」と題するこの作品だろう。⬇︎

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ヨーロッパでは、ポスト・インプレッショニズム、表現派、ナビ派など、様々なスタイルが登場するのを尻目に、黒田も自らの作品をどの方向に持って行くか葛藤しながら、58歳で没してしまったのは、実に惜しい。

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これが絶筆となった「梅林」(1924)。筆でなく、ペインティングナイフで絵の具を厚く乗せて描きながら、何を思っていたのだろうか。

黒田に影響を与えたとされる作品群には、今回以下のような名作もずらりと。

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平成館の前には人影まばら。

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平成館2階の踊り場からの眺め。三分咲きぐらい。

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ついでだから、本館1階も一巡してきた。

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中国人観光客の姿がここでも目立つ。

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ところどころ満開の枝も。

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やがて押し寄せる花見客に備えて、準備万端。でも、こんなものばかりがそこらじゅうにあるのもなぁ、ちょっと無粋かも。

画像の一部はトーハクのHPから。