ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「8月の家族たち」@シアター・コクーン

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2年前にハリウッドが映画化、母メリル・ストリープと長女ジュリア・ロバーツの凄まじい取っ組み合いがひどく印象に残っている。もともと舞台劇だし、日本語なら、さらに家族のやり取りが伝わるだろうと思って、発売と同時にチケットを購入していた。

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期待にたがわず、素晴らしい舞台で、やはり見て正解!ケタリーノ・サンドロヴィッチ(何なのかね〜、このケッタイな名前は)の演出の妙、全開というところか。

キャスト陣もよく頑張っていた。とりわけ、母親役の麻実れいと、長女役の秋山菜津子の掛け合いの見事さには完全に脱帽です。

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開演と同時に響く気だるいセプテンバー・ソング。タイトルとは一月ずれているけど、多分、このすごいドラマが終わった後の気分を表していると理解。採用したヴァージョンは、多分、これだろう。

舞台には、太い材木を使って全体の骨格を支え、舞台幅ギリギリいっぱいに、この一家の居間、書斎、キッチンと2階の寝室など配置がひと目で分かるように、極めて高い完成度で作られている。

父親の失踪、母親の薬物中毒による半狂乱などで、8月のクソ暑い中、はるばるオクラホマの片田舎に急遽集まってくる一族。やがて父親の自殺が確認され、葬儀も終え、全員で食卓を囲むわけだが、ここからの展開が、我々日本人には到底あり得ないほどの地獄絵図。罵倒の末の肉弾戦だからね。そこには血を分けた肉親同士などという観念は存在しない。

集まった家族それぞれが、人知れぬ深い悩みや、たとえ相手が母親、兄弟でも言えない秘密を抱えていて、何の解決策も見出せないまま、それぞれが自分たちの場所に戻っていく結末は空虚だ。とりわけ一人残された母親バイオレットには、自分にも非があるとは言え、耐え難い寂寥感のみ。夫が生前雇った家政婦の先住民の女に取りすがって嗚咽する場面で幕。

劇中、効果的に使われていたエリック・クラプトンのLay Down Sally

正味3時半近い長丁場だが、ダレる場面は全然なし。テンポのいいセリフが所狭しと飛び交い、実に小気味いい。ただ、かなり卑猥な言葉が、それも女性同士で飛び交うのには、いささか閉口した。

脇役陣では、生瀬勝久が相変わらず存在感を示したが、逆に映画やテレビドラマでは魅せる常盤貴子はまったく不発。やはり舞台人の間で演技すると、発声など基本部分がまるで違うから、ちょっと気の毒。

以前、井上ひさしの「頭痛・肩こり・樋口一葉」での小泉今日子にも同じような感想を抱いたことがあるが、ある意味、仕方ないこととは言え、ちょっと残念。逆パターン、つまり舞台人が映画やドラマに登場する場合(例えば、若村麻由美など)には、こうした違和感がないように思うのだが、どうだろう。