ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ブルックリン」

160714 原題もBROOKLYN アイルランド・イギリス・カナダ合作 112分 監督:ジョン・クローリー(47歳、アイルランド出身、「BOY A」2007)

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1950年初頭、憧れより不安いっぱいで故郷のアイルランドからたどり着いた新天地アメリカ。身元引受人の神父の世話で、ブルックリンにあるアイリッシュ専用の下宿に住みながら、デパートの売り子として働き始める。⬇︎

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⬆︎厳しいが親切にエイリッシュを鍛える上司。手前の妙な装置は、伝票を圧搾空気で会計に送ると領収書と釣り銭が戻ってくる仕掛け。パリに前世紀半ば頃まであったプヌマティックと同じ方式で、なかなか興味深い。

やがて教会の支援を得て、簿記を習い始め、公認会計士を目指す日々。寂しさを紛らわすのは、故郷から頻繁に届く最愛の姉からの励ましの手紙だけ。

ダブリンにほど近い地方都市、エスコーシーで、母と姉と慎ましく暮らしていたエイリッシュ(Ellisと書いて、こう発音するのがアイリッシュ風)、思い切って単身新大陸に移住するが、果たしてこの決断は正しかったのか。

やがてダンスパーティーで知り合ったイタリア系のトニー(エモリー・コーエン、名前からしてユダヤ系アメリカ人)と知り合い、互いに惹かれ合い、トニーの家族にも気に入られ、いずれ結婚と誰しもが思う仲に。

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⬆︎このトニーというのがイタリア系なのだが、まったくチャラチャラしたところがない。そこに好意以上のものを抱くようになったのか。

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⬆︎コニー・アイランドへ海水浴。手にはバスタオル。これがこの時代の定番スタイルだったようだ。彼女が着用するサングラスも時代の先端を行っていた。

そんな時に飛び込んだ訃報。最愛の姉が亡くなる。一人ぼっちになってしまった母を慰める意味でも、一刻も早く帰らないと。そんな彼女に結婚を迫るトニー。断れないエイリッシュ。

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⬆︎故郷の街、なんとも言えない安らぎを覚えるエイリッシュ。

故郷では、昔馴染みの仲間との交流を通じて、少しずつ悲しみを癒していくエイリッシュ。やがてジム・ファレル(ドーナル・グリーソン)にいつの間にか惹かれている自分にたじろぐエイリッシュ。激し動揺。老いた母を一人残して再び大西洋を渡る”罪悪感”、でも・・・すでに結婚までした愛するトニーを諦める?

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⬆︎故郷の海でダブルデート。海水着に着替える様子が面白い。

ええっ、どうなる、どうなる・・・見てる側が最もやきもきするシーンの連続で、胸が締め付けられる。ま、結局、なるようにしかならない。母親には気の毒だし、ジムには悪いが、やはりそれが正しい選択だったのだろう。

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ラストシーンは、ついにブルックリンに戻ったエイリッシュを映す。トニーの働く現場近くで旅行鞄を置いて待つ彼女の表情がいい。背景はブルックリン橋。

映画はほぼ三部に分かれている。故郷エスコーシーで家族と過ごすエイリッシュ、中盤は海を渡ってブルックリンでの新しい生活、そして終盤、再びエスコーシー。

主役のシアーシャ・ローナンSaoirseと綴って、こう読ませるのはゲール語だろう。実際にはシアーシャよりサーシャがより原音に近いらしい)が断然いい。彼女の日本公開作品はほとんど見ているが、少女時代の作品が多い。従って、21歳の姿は随分変わった印象を受ける。薄い青みがかったグリーンの瞳に特徴がある。ブロンクス生まれだが、幼い頃にアイルランドに移住というから、本作とは逆バージョンを地でいったようだ。彼女、本作で、2015年アカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞ノミネート、NY批評家協会賞受賞と大いに話題になった。

ついでに、今や多作のドーナル・グリーソンアイリッシュだ。うまいキャスティングだと思う。

他に、やや暗い前半と、明るい未来を見据える後半とでは、意識的に色調を変えるなど、それぞれの時代の描き方に工夫の跡が見られる。それとアイルランドを表す緑があらゆる場面で使われていること。エイリッシュが着用するコスチュームのほとんどは緑が基調になっている。

シアーシャはダブリン方言を普通に話すそうだが、本作で使用されたのはエスコーシー方言だそうだ。日本人には分かり難いが、米語とも英語とも明らかに発音が異なる。

今のブルックリンでは、1950年代当時とあまりに雰囲気が違うという理由で、ブルックリン橋が写り込むようなほんの一部のみブルックリンで撮影し、ほとんどは、あえてカナダのモントリオールで撮影したそうだ。

#58 画像はIMdb、およびALLCINEMA on lineから