161020 ブロガー特別内覧会に参加した。
まさに豪華絢爛と呼ぶにふさわしい作風で知られる梅原龍三郎(1888-1986)といえば、即座にルノワール(1841-1919)が想起されるほど、日本人画家の中では圧倒的に関係が深い。それもそのはず、ルノワールからじかに手ほどきされた唯一の日本人画家である。
梅原が、いきなり前触れもなく紹介状もなくルノワールを南仏の居宅に訪ねたのは、1909年、21歳の時で、この時、ルノワールは晩年と言っていい68歳。すでにリューマチで指が曲がっていた頃か。ルノワールは、突然訪ねてきた見知らぬ東洋人を暖かく迎え入れてくれたようである。これはタイミングがよほどよかったのか、梅原にとっては僥倖以外の何ものでもない。
上の図表でも分かるように、無数の日本人画家が渡仏した中で、梅原が渡仏したのは前述の通り、絶妙な時期だったことがよく分かる。ピカソにも会っているし、他にもマティス、ルオーなどとも同じ時に同じ空気を吸っていたわけで、これほど恵まれた環境があるだろうか。
梅原は師、ルノワールから吸収したものを実に効率よく自分の作風に生かして行った過程が、今回の展覧会の作品群を見るとよく分かる。
まずはいつものように高橋館長から挨拶と概要説明。後ろの絵はルノワールの「横たわる浴女」1906年 54.8x65.0cm 国立西洋美術館蔵(梅原龍三郎氏から寄贈)
ついで、安井担当学芸員から詳細説明があり、時折、アートブログ「青い日記帳」主宰のTak氏からツッコミが入ると言う、いつもの展開で、約三十分。この後、自由鑑賞に移り、一点ものやフラッシュ撮影厳禁と言う条件下で撮影が許可されているから、あちこちでパシャパシャとシャッター音が響きわたる。
今回の展示作品は約80点、師弟の油彩のほか、梅原が収集したコレクションから彫刻や小物、ルノワールからの手紙など、さらにはモネ、セザンヌ、シスレー、ドガ、ピカソ、マティス、ブラックなどの作品も含まれ、豪華なラインアップになっている。
「マドモアゼル・フランソワ」1917 茨城県立美術館
「長い髪をした若い娘」(「麦藁帽子の若い娘」)1884 三菱一号館美術館
「薔薇とルノワルのブロンズ」1972 油彩/厚紙 東京都現代美術館
これが元絵となる「パリスの審判」81X101cm(左)1908 三菱一号館美術館と、手前は同じく「パリスの審判」19013-14 ひろしま美術館、73X92.5cm 第1バージョンとも言える左の絵には描かれていない神々の使者で、介添え役のメルクリウスが右の絵には描かれている。パリスの審判とは、ローマ神話の中で、ユノ、ミネルヴァ、ヴィーナスの3人のうち、誰が一番美しいかの審判をトロイアの王子、パリスが託され、勝者に黄金のリンゴを贈るというお話。美の女神であるヴィーナスが1着だったのは当然で、「あら、やはりアタシだったわね」とニンマリのヴィーナスに対して、左右の二人がいかにも不満そうにしているところが面白い。
「艶子夫人像」1974 個人蔵
「カンヌ」1920 東京国立近代美術館
梅原コレクションから大津絵2点。これらも梅原の画風に影響を及ぼしているようだ。
「マッソーニ夫人」1870頃 個人蔵
南仏カーニュ・シュル・メールにあったルノアールの家と、出会った当時の二人の姿。右手は隠しているが、ルノアールの左手の曲がった指が痛々しい。対する梅原の若々しさはどうだろう。何しろまだ21歳だもの。
「横臥裸婦」。特徴ある赤が際立つ梅原の作品の中では珍しい青い色調の作品。
1921年制作の、手前「裸婦図」と、右、裸婦脱衣立図」梅原調、全開。
梅原コレクションの展示コーナー
ピカソの大作「オンドリと、スイカを食う人」1965年 115x195cm 三菱一号館美術館寄託 近撮不許可作品
セザンヌ「リンゴとテーブルクロス」1879-80 三菱一号館美術館寄託
セザンヌ「曲がった木」1888-90 ひろしま美術館
撮影はすべて主催者から特別な許可を得たものです。
本展の会期は、今月19日から来年1月9日まで。月曜は休館なので要注意。
詳細は→本展オフィシャルサイト