ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ジャコメッティ展」@国立新美術館

170623

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取り立てて好きな彫刻家でもないのだが、時間調整も兼ねて、青山一丁目から一駅の六本木で下車して国立新美術館へ。午後の早い時間だが、行列もなく、すんなり会場内へ。つい先日、ここでムハ(ミュシャ)の「スラブ叙事詩」の大作群を見た後だけに、今日は妙にひっそり閑として、ちょっと気の毒なほど。

 

ウィキペディアによれば、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)は、イタリア国境近くの寒村、ボルゴノーヴォ(スタンパの一部)で生まれた。父、ジョヴァンニがスイス印象派の画家だったこともあり、自然に絵画の道へ。途中から、ロダンの弟子、A.ブルデルに師事し、彫刻家を目指す。ちなみに1歳違いの弟ディエゴは、アルベルトの助手及びモデルを務めた。

 

章立ては、以下のとおり。

1. 初期・キュビズム・シュルレアリズム

2. 小像

3. 女性立像

4. 群像

5. 書物のための下絵

6. モデルを前にした制作

7. マーグ家との交流

8. 矢内原伊作

9. パリの街とアトリエ

10.犬と猫

11.スタンパ

12.静物

13.ヴェネツィアの女

14.チェイス・マンハッタン銀行のプロジェクト

15.ジャコメッティと同時代の詩人たち

16.終わりなきパリ

 

展示点数は132に及ぶ。それにしても、展示数に比して、この章立ては、いささか細切れすぎて、焦点がぼけてしまい、散漫な印象を与えかねない。

 

マッチ箱に入るほど超ミニチュア像を作ったこと思うと、その後、大きな像が出現するなど、彼が追い求めたものに近づくまでの過程が複雑で長いことに気づく。

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ジャコメッティはたまたま第1次、第2次の両大戦を経験するという、やはり不遇な時代を生きたと言わねばならない。そういう落ち着かない時代にあって、ジュネーブ美術学校を経て、20代後半に弟と一緒にパリへ出たのは、後から考えれば英断だったろう。

なぜなら、当時活躍していたピカソ、ミロなどのシュルレアリスト他、多くのアーティストと知り合えるきっかけとなったからだ。

 

彼らとの交流を通じ、彼も一時キュビズムに傾倒するも、いつしか写実に戻ったりと、作風も大きく揺れ動いて、まるで別人の作品かと思うほどのものも少なくない。

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そんな中で、やはりジャコメッティの名前を不動にしたのは、人体や、頭部を縦に引き伸ばし、左右を薄くしたブロンズだろう。

 

絵画作品も何点から展示されているが、彫刻ほどのインパクトは感じられなかった。

 

ジャコメッティ展@国立新美術館 9.4まで。