170717
4月から15回の練習を経て、とうとう当日になった。合唱団の集合時間は11時45分。ちなみに開演時間は19時。予定より早めに会場着。男性は奏楽堂の楽屋の一室をあてがわれるが、女性は数が圧倒的に多いこともあり、別棟の第6ホールが控え室になる。
昨年同様、控え室に入るなり、そそくさと着替え、ボウタイまで締めてしまう人がほとんどで、かく言う愚亭も手早く着替えてしまった。ギリギリまでラフな格好で過ごす者もいるが少数派。(女性は全員、集合時には着替えていた)
12時半頃、舞台へ出て、並びと「入り」「ハケ」の練習。なぜか、去年ほどスムーズに運ばないので、イライラする団員、少なからず。愚亭は前から4列目の中程に。うまい具合に互い違いに顔が見えるような配置になっている。指揮者が見えないというのは、致命的だから、当然の配慮だが。
その後、独唱者のゲネが始まり、合唱団員も希望者は2階バルコニー席で、その一部を聞くことができるが、今年は、早めに戻れとの安全策(?)で、前半では、許昌(シュウチャン)の歌うドニゼッティの「連帯の娘」の有名なアリア「友よ、今日は楽しい日」(ハイC9連発でも驚くがこの人は、最後、ハイDまで上げたからねぇ)の途中から、高橋絵理の「チャルダッシュ」までのたった3曲!
その後、自分たち合唱のゲネだ。ソリストたちと声合わせは昨日すませているが、やはり緊張する。ソリストを後ろから聞くことになるので、声量としては、半分ぐらいになるのは仕方ないとして、それでもソプラノとバスの響きは格別だった。
舞台裏に戻り、指導の先生方から細かいダメ出しがあり、一旦、解散。ゲネを聞きたい人は再び2階席へ。後半は、甲斐栄次郎の「闘牛士の歌」から、手嶋真佐子の「ドン・カルロス」の一番のアリア、「おお不幸な賜りもの」までの5曲まで聞くことができて、まずまず満足。とりわけ直野 資(たすく)の「祖国の敵」(アンドレア・シェニエ)を聴くことができたのは、最近、さほど歌う機会が減っている大御所だけにラッキーだった。
その後、一旦解散なので、合唱団控え室に戻り、早めのお弁当をいただく。月村謹製のお弁当は、悪くない。食後は、1時間ほど手持ち無沙汰となる。そこで、控え室と控え室の間にある、モニターやソファの置いてあるロビーでくつろいでいると、旧知のソリストたちが出入りするので、ついおしゃべりすることに。何と言っても、このひと時は断然楽しい。
尤も、事務局からはソリストには声がけするな、写真は撮るな、と事前に厳しい注文が出されている。撮影はともかくとして、目が合えば、挨拶もするし、これは仕方ない。大目に見てもらうしかない。
開演時間1時間前になると、第6ホールへ移動して、最後のダメ出しをされての声出し。どこに座っても構わないというから、敢えてソプラノとソプラノの間に座ったのだが、さあ大変。特に右側はトラさんだから、ひときわ大きな声で、自分を見失うほどだったが、良い経験になった。
さて、いよいよ出番となる。歌い始めてみれば、練習におよそ40時間以上もかけたのに、30分はアッという間で、呆気ないこと!家族が録音しておいてくれた演奏を聞くと、ほぼ期待以上の出来栄えで、一安心。
モツレク、終演。⬆︎⬇︎FACEBOOKから拝借した画像です。
ただ、ラクリモサの最後、アーメンはなぜもっとフォルテにしなかったのか、あそこが一つの聞きどころなのにとの指摘も。そう言えば、打ち上げに参加した歌仲間でリーダー格の人物からも同じ指摘を受けていた。念のためにYouTubeでいくつかの演奏を聴くと、確かにフォルテで終わる例がほとんど。その点については、練習を通じて、特に指導者からは何の説明を受けなかった。こちらから質問すべきだったのかも知れないが、後の祭りだ。
モツレクのソリストを便乗撮り。左から小野和彦(バス)、鎌田雅子(メゾ・ソプラノ)、大久保陽子(ソプラノ)、布施雅也(テノール)
そして、第3部が終わり、アンコールのナブッコからの「行け、我が思いよ、金色の翼に乗って」を歌いに、再び舞台へ。我々の前にはすでに独唱したソリスト全員が勢ぞろい。これだけの人気プロ歌手たちと同じ舞台に乗って演奏できるのは、滅多にないこと、その喜びを胸に秘め、合唱団員は暗譜で、(ソリストたちは一応譜持ちで)大合唱の締めくくりとなった。
終演後、指導の荒牧小百合先生、竹内雅拳先生から講評を聞く。「来年はさらに上手くなりましょう」と結んだ。
(⬆︎Va pensieroを全員で。⬇︎ソリスト陣勢揃い、どちらも日声協の写真をお借りしています)
当初出演予定だった人気ソプラノ歌手、小林沙羅が体調不良か、突然出演できなくなり、そのぶん、いくらか終演時間が早まった。おかげで打ち上げを少しだけ早く始められたが、それでももう9時半は回っていたから、盛り上がっているうちにラストオーダーになり、集合写真を撮る間もなく、「終電、終電!」と叫んでみんな駅方向へ散っていった。愚亭も深夜0時半の帰宅になった。不思議に疲れても酔ってもいない。むしろ独特の空虚感だけが残った。
(文中敬称略)