ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「甘き人生」

170719 原題:FAI BEI SOGNI (いい夢を見るのよ!)伊仏合作 130分 脚本・監督:マルコ・ベロッキオマッシモ・グラメッリーニの自伝的小説を映画化したもの。

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1969年のトリノと90年代のローマが何度か交錯する。主人公のマッシモは、9歳の時、突如最愛の母が姿を消す。周囲の大人に聞いても誰も心臓病による急死としか教えてくれない。あんなに元気だった母が亡くなるはずはないと言い張り、マッシモには、どこか遠くできっと生きていると自分を納得させるしかない。

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当時放映されていたフランス製スリラー「ベルフェゴールは誰だ」を恐る恐る母と見ていたのを、その後も何度もトラウマのように思い出す。

今は、ローマの新聞「スタンパ」の新聞記者として依然、マンマ・ロスを抱えたままひっそり生きている。

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トリノFCのサッカースタジアムがアパートの目の前にあったことで、父親はよく試合に連れて行ってくれたものだった。その父も母の死については、語らないまま、若い女性と一緒になり、その後、全財産をマッシモに譲って亡くなった。(父親を演じたグイド・カプリーノは、成人したマッシモの前にも登場するが、実年齢で、一つ年下だから、ややリアリティに欠けるのは仕方ない。)

残された遺産整理で、収拾がつかなくなり、深夜にもかかわらず、叔母を電話で呼び出す。整理の手伝いは口実で、母親の死をどうしても叔母に確認しておきたかったのだ。観念した叔母は、書棚から古い新聞記事の切り抜きを探し出してマッシモに見せる。いつか自分で知ることになるから、敢えて何も言わなかったと言い訳しつつ。恐れていた通り、カトリックでは禁じられている自死だった。覚悟はしていたが、衝撃を覚える。

伏線として、家にあったナポレオン(この一家は王党派で、ナポレオンを崇拝していた家柄か、やたらにナポレオンの像や絵がある)を9歳のマッシモが窓から落とすシーンや、テレビドラマ「ベルフェゴールは誰だ」で、窓から飛び降りるシーン、エリーザがプールで高飛び込みをする場面など、暗示する場面、少なからず。

その後、コソボ紛争の取材でサラエヴォに仲間のフォトジャーナリストと最前線へ。そこで見た凄惨なシーンに、パニック障害を引き起こすマッシモ、帰国してたまたま行ったローマの病院の女医エリーザ(ベレニス・ベジョ)に母親の面影を見る。

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彼女の親戚主催のパーティーに呼ばれたマッシモ、尻込みしながらも、ダンスを始めると、9歳の時に母と踊りまくった情景が蘇り、いつのまにか輪の中心で踊り狂っている自分に呆然とする。

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まあ、言って見ればマザコンの情けない中年男が、やっと生きていける自信のようなものにたどり着いたような幕切れ。時代感覚の描写が得意な監督だけに、うまく映画化できたのかも知れない。

主演のヴァレーリオ・マスタンドレア、こういう影のある暗い役を演じさせると、右に出る者がいないほど巧みである。アルゼンチン出身(フランス国籍)のベレニス・ベジョ(ベホ)は、何度も書くが、色浅黒く、特別美人でもないのだが、目力と存在感はたっぷり。不思議な女優だ。

劇中に何度も登場するテレビ映像の「ベルフェゴールは誰だ」は64年、フランス国営テレビが制作、65年にはテレビ朝日で日本でも放映されて、自分も見ていた。シャンソン歌手のジュリエット・グレコが出ていたことをよく覚えている。

ところで、この邦題は残念ながらいただけない。いい歳をして、何やってんだと主人公を揶揄しているのだろうか。

#48 画像はIMDbから