ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「禅と骨」

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こういう人がいたとは知らなかった。上に書かれている通りで、ヘンリー・ミトワ(Henry Mitwer)は粋人であり、変人である。

日本人の母(新橋の芸者だったらしい)とドイツ系アメリカ人の父の間に横浜生まれ、横浜育ち。外見は全く外国人ゆえ、スパイと特高に睨まれ、嫌気がさしたこともあって、戦前、父親に会いに氷川丸で渡米するが、戦争で日本に帰れなくなる。アメリカでは逆に日系米人ということから敵性外国人の扱いで、ピアニストだった夫人共々、マンザナールの収容所に。

戦後、日本へ。そして京都嵐山での生活、いつのまにか天龍寺の禅僧になるが、根っからの趣味人だから、日本文化に憧れ、絵画、陶芸、文筆、茶道といろんなことに手を出す。一つ一つがそれなりのレベルに達していたようで、姿は白人だが、心は日本人という風情。

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千宗室(15代)とも深い親交があった。

最晩年に、米国在住の長男(英語しか喋れない)、長女(アメリカ在住だが、日本語も話す)、次女(日本在住)が久しぶりに一堂に会するが、会話はこれまでの子供達の恨み辛み(特に次女が強烈に抱く)が露わになり、かなり物騒な場面もカメラは遠慮なく撮影する。こんなとこ、見ちゃっていいのかなと戸惑いを覚えるほどだ。

2011年、93歳で没するが、その前後をも、カメラは淡々と克明に写し取っていく。晩年はかなりわがままぶりが顕著となり、事前打ち合わせでも、撮影側としばしば衝突し、険悪な雰囲気も。

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天龍寺の住職と語り合う幸せそうなヘンリー・ミトワ。

父、ヘンリーがいかに家庭を顧みなかったか、もっぱら母がピアノ演奏で家庭を必死に支えたことを次女が語る場面があるが、上の二人はすでにそんな勝手気ままに生きる父親を許している風だが、独り次女だけが最後まで厳しく接する。それでも、最期を寄り添ったのはその次女だった。次女が流す涙が印象的。

ヘンリー曰く、将来に夢なんかない、過去が面白いのだと。長男がアメリカの自宅で「過去は関係ない。大事なのは未来だ」と対照的なコメントが印象深い。それと、いつまで経っても、自分の思いは母にしか向かっていない、女房なんか関係ない!と言い切った後、しまったと言わんばかりの茶目っ気ぶりも、人間臭くて面白い。

死後、遺品整理の場面で、始終過去が面白いと言っていただけあって、膨大な遺品が出てくる。遺族たちには、ヘンリーのそうした過去や古いことへかかずらうことを一切意に介さないようで、片端から整理し、彼が自宅の居間に置いて大事にしていた父母や親戚のお骨を寺に頼んで、全て一つにしてしまう。

天から彼はこの光景をどう見ているだろう。過去へのこだわりの好例の一つがヘンリーが苦心惨憺して作成した長大な家系図。子供や孫たちは、なんでこんなもの作ったんだろうと笑い合う始末。これが現実、あまりに現実!

ヘンリーは「赤い靴」を映画にしたいと、企画書まで作って、一時、金策に走り回ったりしたこともあったようだが、結局、資金不足で、夢叶わず。後日、彼の意向を汲んで短編アニメとなったことが紹介される。

全体としては、ドキュメンタリーのスタイルを取っているものの、合間にドラマを巧妙に差しはさみ、ナレーションでもフォローしていて、丁寧な作品になっている。多分、10年がかりぐらいで作られた作品だろう。127分とやや長尺だが、それはあまり感じさせない佳作だ。エンディングで突然「骨まで愛して」(城卓也、1966)が流れるのには笑った。

#61 画像はALLCINEMA on lineから