ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「永遠のジャンゴ」

171128 原題:DJANGO 117分 仏 脚本・監督:エチエンヌ・コマール(製作と脚本の実績はあるが、監督としてはこれが第1作)

f:id:grappatei:20171129124759j:plain

まったく知らなかったが、実在のジャズギタリスト。ベルギー生まれだが、本名はジャン=バチスト・ラインハルト(フランス語ではレナール)とドイツ系の姓。両親はロマ人。従って、ロマへの回帰志向が強いのは当然で、演奏する音楽もジプシー音楽とジャズのフュージョンで、ジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)という独特の分野を確立、一世を風靡。かのステファン・グラッペリともしばしば共演、共作している。

映画は、パリ近郊のジプシー部落の焼き討ちシーンからスタート。なにやら不穏なものを感じる。時代は第二次大戦下、ナチが占領するフランス。ナチが敵視したのはユダヤ人がもっぱらだが、同性愛者、そしてジプシー(ロマ)も対象になった。

そうした暗い時代に一瞬の光芒を放つジプシー・スウィング、演奏するジャンゴ・ライハルトを中心に時代性を見事に描き出している。

当初は自分たちにも深刻な厄災が降りかかることを想定していないジャンゴ(レダ・カテブ)、呑気にテキトーに舞台に登場してはジャカジャカと得意のリズムを刻む。ところが、目端のきく愛人ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)から最新の戦局情報を入手、さらにはスイスへ家族一緒に逃げ延びるよう説得され、手配までしてくれる。

ルイーズは見栄えもいいから、ナチ高官に巧みに取り入り、さまざまな情報を取っては、危険の迫っている彼らに流している。双方から疑いを受けながらだ。案外高潔な人物かも。自分に危険が迫っていることも十分覚悟の上だ。多分、直後、ナチに消されただろう。

山場は、ナチが来賓を招く大事な晩餐会でジャンゴたちが演奏することになるが、これこそが実はジャンゴと、そしてこれを企画したルイーズの陽動作戦。途中まで筋書き通りに順調に行ってたのだが・・・スイスへ首尾よく逃げ延びたのはジャンゴだけだったのか?

演奏前にナチが彼らに与えた注意事項がふるってる。マイナーコード禁止、ブルース禁止、ソロは5秒以内、足でリズムとるの禁止、ベースは弓で弾くことなどなど。ブルースはナチにとっては、非アーリア系音楽という指定。しかし、ルイーズがこのうるさい監督官を踊りに誘ったから、いつのまにか上記禁止事項はすべて破棄しての第演奏会に。

ラストは、欧州では戦争終結となった1945年5月、パリのとある大聖堂、楽団と合唱団がスタンバイしているところに、ジャンゴが現れ、指揮を始める。荘重に鳴り響くパイプオルガン、それに和するオーケストラ、そして混声合唱団。ジャンゴが作曲していたRequiem pour mes frères tsiganes(我がロマ同胞へのレクイエム)。(字幕によると、この曲はここで演奏されただけとあるが。)カメラが移動すると、そこには母親、妻、赤ん坊、その他、懐かしい仲間の顔が。とても助かるまいと思ってたが・・・。

ジャンゴを演じたレダ・カテブアルジェリア系フランス人、父親も映画俳優。「涙するまで、生きる」[2014]での好演が忘れがたい。)の演技が断然光る。実際にかなりの部分を自分で演奏しているようだ。ジャンゴは若い頃の火傷で、左手の薬指と小指がほとんど動かず、独特の奏法を編み出したと解説にある。

ちなみに、ジャンゴのタイトルが付く映画作品、ずいぶんあるが、ロマ語で「私は目覚める」という意味だそうだ。作中、ロマ人部落でジャンゴもロマ語で話している。まったく見当もつかない言語だ。文字を持たないから、詳細は判然としないが、すべて方言で60種以上あるとか。

助演のベルギー出身女優、セシール・ドゥ・フランス、見るたびに顔も体つきもごっつくなる不思議な女優だ。初めて見た「モンテーニュ通りのカフェ」(2006)では今では別人のように初々しかったのだが。

#78 画像はIMDbから。