ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード」

171204 原題:INTERLUDE IN PRAGUEプラハでの間奏曲)英・チェコ合作、  監督・脚本(共):ジョン・スティーヴンソン(英、CGアーティスト出身、監督歴、ごく浅い)

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アマデウス」(1984)以来の本格的なモーツァルト映画という触れ込みだが、残念ながら、映画の出来としては、前者には遠く及ばない。それでも、悪くない出来栄えではある。

モーツァルトプラハで一時期を過ごしたのは事実であり、「ドン・ジョヴァンニ」作曲も郊外のベルトラムカという、当時音楽家夫妻(妻の方は映画にも登場するジョセファである)の邸宅で過ごし、書きかけのドン・ジョヴァンニをここで完成させたと言われる。

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⬆︎モーツァルトが1786-7年頃に滞在していたベルトラムカ邸。長くモーツァルト関連の資料なども展示されていて、筆者が2006年に訪れた時はまだ内部でそれら貴重な資料が見られたのだが、今はそうした展示はないらしい。

ヒット作「フィガロの結婚」は、作曲されたウィーンよりプラハでの人気が高く、一般の人々まで、有名なメロディーを口ずさむほどだったという噂に気を良くしたモーツァルトプラハ在住の裕福な音楽愛好家の招きで、意気揚々、プラハ入りしたらしい。

映画の中では、そこから先は完全なフィクションとなる。歌の稽古をつけているうちに先生と生徒が仲良くなってしまうのは、ごく普通のことなんだろうけど、部類の女好きのモーツァルト先生だから、生徒の方はイチコロ。

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ここに登場する生徒は、ソプラノで、立派な貴族の子女、身持ちはすこぶる固いことになっているが、モーツァルト先生にはそんなことはお構いなし。恋の炎は燃え上がり・・・でも、彼女は、厳格で家名を大事にする父親の意向で、ある男爵にお輿入れの話が持ち上がる。彼女にしてみれば、否も応もなく、泣く泣く従わうことに。

このサロカとか言う男爵が、モーツァルトに輪をかけたような好色で、その上、下品な色事師!金も名誉もほしいまま、当時のプラハでは泣く子も黙る権勢ぶり。新進で、金もないモーツァルトなど歯牙にも掛けない。

自分の意のままにならない彼女に業を煮やした男爵、とうとうある晩、巧みに劇場から彼女を誘い出すと自邸に連れて行き、自分の顔に泥を塗ったと乱暴狼藉の上、なんと・・・。

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失意のモーツァルト、関係者の心配をよそに、既に初演の日程がせまっているのに作曲どころじゃない。それでも、ウィーンから妻と息子が駆けつけると、再び「ドン・ジョヴァンニ」の作曲に向かい、前夜徹夜してなんとか初日に間に合わせるのだった。

前編、プラハで撮影し、音楽演奏もチエコ・フィルが全面協力したというほどで、登場する劇場も実際にドン・ジョヴァンニが初演されたエステート劇場も使われたとうから、あらゆる点で本格的な作品に仕上がっている。

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さらに、主演のウェルシュ人、アナイリン・バーナードがこれぞモーツァルトというほど雰囲気が出ていて、例の横向きの肖像画⬆︎によく似た表情をするから、この点だけは「アマデウス」のトム・ハルスよりしっくり来る。最近観た「ダンケルク」にも登場しているが、端役でもあり、まったく話題にならなかったのとは対照的である。

アマデウス」は、モーツァルトを天敵とするサリエリの目でモーツァルトの半生を描いているのに対し、本作では特に誰の目線という描き方は採用していない。犠牲になったソプラノ歌手、モーツァルト、男爵の三角関係による悲劇を、1786年(モーツァルト、ちょうど30歳、その悲劇的な死まで、あと5年)のプラハを舞台にして描いている。

モーツァルトが口説かなければ、彼女の悲劇もなかったわけで、妻子をウィーンに残しながら、プラハでの一時の寂しさを紛らわすだけだったとすれば、随分罪作りな話だ。

なお、出演者のほとんどがウェールズイングランドアイルランドの出身、そしてスタッフの大半はチェコ人である。

#80 画像はIMDb、およびALLCINEMA on lineから。