ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

この時期に「復活」を歌える喜び!

180320 開花はしたものの、一気に気温の下がったこの日、文京区関口町にあるカトリック関口教会(通称、東京カテドラル聖マリア大聖堂)で、マーラー交響曲2番「復活」、そしてアンコールとしてヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」を合唱団の一員として歌った。

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まさか3週間後に2度目の「復活」はまさに想定外。ただ、今回は合唱団は寄せ集めの混成舞台で、全体練習の回数も少なく、まとまりを欠いたのは否めない。やはり2月末、トリフォニーで歌った時とはいろんな意味で訳が違った。

大聖堂で復活祭の時期に「復活」をクリスチャンでもない者が歌えるのは、申し訳ないと同時に晴れがましい気も。無料のコンサートで、入場者には確かワンコインの寄付をお願いした筈だ。

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集合時間の2時半に聖堂に入ると、すでにオケが練習を始めていた。まずは音の響に圧倒された。

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ちょうどバンダ⬆︎(別働隊、今回は入口の上にあるパイプオルガンの両脇)がホルンを吹き始めたのだが、それがとてつもなく高い天井に広がり、実になんとも荘厳な雰囲気。こんなところで、歌えるとは、とすでにワクワク感が自分の中に充溢。

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⬆︎自分の立ち位置から眺め(練習時)

オケの練習、とりわけ難関箇所、われわれ合唱が歌い始める前のバンダのトランペット、オケのフルートとピッコロが絡み合うシークェンスが、どうしてもマエストロが考えているのとは微妙にずれるので、確か6テイクぐらいはやっていて、そのため、合唱団はひたすら祭壇側の階段で待ち続けることに。強引に座り込む団員も半分以上いたようだが、前後左右、立錐の余地のないほどで、けっきょく延々立ちっぱなしとなり、足の位置も動かせないほど。これが今回、もっとも苦痛だった。

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5時半から聴衆の入場開始、6時開演。われわれは控え室で待機。2楽章が終わってから最後列から順に入場。演奏する側、聞く側が近く、すごい一体感を感じる。自分の立ち位置はちょうどマエストロとその後方上部にあるパイプオルガンを見る絶好のポジション。

事前に決めてあった楽譜を開く瞬間が刻々と近づく。そして銅鑼が鳴って一斉に楽譜を開くのだが、前に団員が邪魔で開けない。前回は暗譜で歌ったのに、今回はそこまで歌いこんでないという理由で全員が譜持ちとなったが、皮肉なものだ。

アンコールのハレルヤ・コーラスも含めて、なんとなく消化不良のまま、あっけなく終わってしまった。たくさんの拍手とブラーヴォももらったし、なによりこんな由緒ある会堂で歌えたことはなにものにも代え難い経験だ。

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合唱部分は僅か8分弱と、12分の第九よりも短いとは言え、「復活」の合唱の方がはるかに難しいと感じた。理由は緩急強弱が激しいことだ。フェルマータの箇所も難物で、指揮者次第、また練習時と本番でも微妙に変わるから、楽譜を見ていては絶対に合わせられない。終曲部は至難中の至難な箇所で、第九で言えば、最後のゲーッテルフンケンに入る直前のような感じかな。いや、やはりちょっと違うか・・・。

ところで、この大聖堂は建築的にも大変貴重なもので、それは以前から知っていたのだが、なんと遠くから眺めたことはあっても(椿山荘の前だから)、内部に入ったのは今回が初めてで、これまた大変貴重な機会となった。

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1964年(東京オリンピックの年)の12月に、コンペで最終的に丹下健三プランが採用されて完成。1967年には吉田茂の葬儀がここで行われたことは前にも書いた通り。

今回の演奏会、チケットは予算の関係から作成されていない。すべてヴォランティアである。