ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「英国総督 最後の家」

180901 VICEROY'S HOUSE 2017 英 106分 監督・製作(共)、脚本(共)グリンダ・チャーダ(「ベッカムに恋して」'02、「パリ、ジュテーム」'06、インド系、日系人と結婚している。エンドロールで紹介されるが、彼女の祖母はこの時代に総督の近くにいたようだ)

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1947年、最後の総督としてインドに赴任したルイス・マウントバッテン、ヴィクトリア女王のひ孫という血筋の良さだが、すれにゆえか、どこかお人好しというか脇が甘いというか、そこをまんまと利用されたようなストーリーである。まあ、貧乏くじを引かされたようなものだ。

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(⬆︎インド総督府の凄さには仰天する。使用人は500人を数えるというから、物凄さが知れようというもの。赴任後、家族、スタッフ、使用人たちとカメラに収まるマウンtバッテン総督)

インドの単独独立を既定路線と(理解)して赴任したものの、実態は宗教問題が絡んで、インド国内は大混乱、結局、ヒンドゥーはインドに残留、ムスリムパキスタンへという分離独立の形を取ったため、1400万を超える”民族の大移動”となり、各地で騒乱が起き、死者だけで百万という途方もない数字に。

マウントバッテンを派遣した当時のイギリス宰相は労働党のクレメント・アトリー首相だが、その直前までは保守党のチャーチルが首相を務めていた時代、まだ太平洋戦争終結前である。すなわち、アジアでの権益をイギリスはにっくき日本によってことごとく失いつつあった微妙な時期。

それゆえ、チャーチル得意、というより英国のお家芸とも言える深謀遠慮か謀略か、統一インドとすれば強大過ぎる国家が誕生することに懸念と警戒を示し、ムスリム連盟の代表ジンナーに建国を秘密裏に約束し、敢えて分離独立を目指し、着々と内々にその準備をしていたのだ。しかし、この事実はマウントバッテンに事前に知らされることはなかった。

こうした英国流の姑息極まる二枚舌三枚舌外交が、現在のパレスティナイスラエル間紛争は言うに及ばず、主としてアジア・アフリカで、英国がこれまでどれだけ紛争の種を撒き散らしてきた、これもそのほんの一例。

ともあれ、多大な犠牲を払いながらも、分離独立はなったので、予定通りインドを引き上げるマウントバッテンの胸に去来したものはなんだったのか。

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隣に座るエドウィーナがなかなかの賢夫人で、映画ではたびたびマウントバッテンに理性的な助言をする姿が印象に残る。これをジュリアン・アンダーソンが好演。

マウントバッテンを演じるヒュー・ボネヴィルは海外ドラマとして日本でも放映されが「ダウントンアビー」のグランサム伯爵でもよく知られることになった俳優。確かに人の良さそうな雰囲気で、この役にはピッタリ。

インド独立の際にどれだけの血が流れたか、あまり日本人の知らない、これまた戦争秘話、ぜひ多くの日本人にも見て欲しい作品!

原題のViceroyは直訳すれば副王ということになろうが、ここでは総督として定着している用語。ほぼ実話に基づいているものの、総督府に使えるヒンディーのジートと、モスレムのアーリアの恋物語は完全なるフィクションであるが、もう一つの軸として描かれている。

このジートが、彼女は失う(あとで劇的再会)は、国は引き裂かれるは、で自暴自棄となり宮殿にしのびこんで、総督を罵倒するシーンがある。「こんなことをしやがって、二度と再び平穏な時が訪れると思うなよ!」みたいな予言めいた捨て台詞を投げつける。

マウントバッテンは後年、アイルランドのスライゴ付近で孫たちとヨットを発進しようとしてIRAが仕掛けた爆薬が破裂、非業の爆死を遂げている。享年79。

#65 画像はINDbから。