ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

プッチーニ三部作、豪華な舞台に圧倒される。

180907 前々から楽しみにしていた公演。確か売り出し直後にチケットを購入した記憶がある。前から6列目、左セクションの右端という、願ってもない席に。それでも、今日はオペラグラス持参で正解だった。表情を読み取るには、オペラグラスは欠かせない。今回はこれに加えて極めて精緻に作られている舞台セットの隅々やコスチュームの質感などもたっぷり観察した。

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ご覧のようにチラシが素晴らしい。絶対見たくなるように作られている。ほぼチラシの写真通りの舞台。キャストが日本人というだけで、他はそっくりこのままである。

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このキャスト陣の凄さよ!これだけのスター性の高い歌手が一堂に会する舞台はそうたびたびあるものではない。たまたま右側の組を観たわけだが、今回ほど両組とも観たいと思ったことはなかった!

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いずれも単独で上演されることは、ほとんどなく、必ず何かしらと組んで上演される。三部作として上演されることはもちろんあるが、それも多くはない。ブログで調べたら一度だけ⬇︎こんな公演を過去鑑賞していた。ちょうど10年前、東京文化会館だった。

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それぞれを個別に上演したと思うのだが、今回は、3作を一つとみなした上演ゆえ、「外套」と「修道女」の間に休憩はもうけず、そのままあっという間に舞台転換して、観客が呆気にとられているうちに、ジョルジェッタ/アンジェリカ(文屋小百合)など、舞台上で着替えてしまうというような、離れ業。

ちなみに今回3演目連続出演したのは、舟橋千尋小林紗季子の二人。演目毎での出番はそれほど多くはないとは言え、違う役を演じ分けるのはさぞ大変なことだったろうと思う。

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今回、やはり目を奪ったのは舞台装置の凄さであり、照明の見事さ、そして演出の冴えに尽きる。もちろん、二期会、新国、藤原合同の合唱陣も素晴らしかったし、一人一人ソリスト陣の頑張りは言うに及ばずだが。

幕が上がると、そこには大きなコンテナーがドカーンと4本ぐらいが舞台狭しと並んでいる。これが実に本物っぽい。セーヌ河に係留されているバージの上で展開される、やや陰湿な悲劇だが、コンテナーの角度を利用しての演出に、まずは舞台に引き込まれる。また照明の当て方、陰影の付け方でも勝負していることが分かる。

修道女では、あっという間に転換が行われ、右側には洗濯用のいくつもの洗い場が遠近感を構成してずらっと並んでいて、合唱団員たちが洗濯女に扮して、繰り広げられる。左側にはアンジェリカが演技する空間が設けられていて、左右が別の世界観を保てるように工夫されている。

30分の休憩の後、幕が開いた「ジャンニ・スキッキ」、思わず観衆から驚きの声が漏れるほど奇抜な舞台が出現!なんと天井の高さまで3層の立体的構造に、紫を貴重にしたド派手な壁紙がびっしりと覆っている。(3枚目の写真)こうした高低差のある立体的な舞台で演じる方も、人によっては細いはしごを昇ったり降りたりで、一瞬たりとも油断ならない。

一方、ミキエレットの演出は、さすがに本場の匂いがプンプンするもので、日本人の演出家ならぜったいにやらないような演技を歌手たちに要求していたようだ。やはりこれだけの舞台を作り上げるには、そこは譲れないポイントであるのがよく分かる。それにしっかり応えた歌手たちも立派だ。

こういう舞台を作れるのは、やはり国産ではまだ無理なのかも知れない。伝統の厚みが違うのだし、無理もないだろうけど、こういう形、つまり海外の劇場との提携でいいから、これからも是非こういう「これぞ、本場の舞台!」というものを我々にも見せて欲しい。

海外引っ越し公演ともなれば、何倍ものチケット代を払わなければならないのだが、今回のような値建てなら、純国産の公演とほぼ変わらないのだから、まことにありがたい。

さて「ジャンニ・スキッキ」の終幕、再び「外套」への回帰に観客をいざなうとは、なんとも洒落たもので、思わずニンマリしてしまった。いやはや脱帽あるのみ。

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