ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

清澄庭園、初訪問

181115 深川江戸資料館の後は、すぐそばにある清澄庭園へ。ここも初めて内部へ入った。

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稀なる快晴のもと、池と周辺の緑がよく生える。常緑樹ばかりようで、紅葉はまったく見られなかった。ホームページから概要を拾うと、

泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」。この造園手法は、明治時代の造園にも受けつがれた。そして清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれている。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられており、享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の藩主・久世大和守下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようである。
明治11年岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成した。
清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救った。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7 月に公開。庭園は、昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定。

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お茶会をやっているようだった涼亭。

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さぎがあちこちに。慣れているせいか、近寄ってもあまり逃げようとしない。

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あまり雪も降らないが、金沢の兼六園を思わせる雪吊りが施されている。

ここにもお隣の国から若者が大挙入園していて、大声ではしゃぎまわり、その傍若無人ぶりは迷惑至極!