190611
METライブビューイング、今シーズンの最後の演目はプーランクの「カルメル会修道女の対話」という、ややマイナーな作品。もちろん、愚亭も観るのはこれが初めて。時代設定はフランス革命の最中。この点では、ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」と同じ。これも実話に基づいている。台本の起源となったのは「コンピエーニュの16修道女殉教者」という、唯一の生き残りであるマザー・マリーの『証言』(1906)らしい(ということは、実際に処刑されたのは15人ということになる)
修道女を中心に描くオペラとなれば、些か自分としては引いてしまうのだが、今シーズンの見納めという軽い気持ちで出かけた。だが、見終わってしばらく動けないほどの衝撃のオペラだった。
プーランクは普段聴く機会がほとんどなく、馴染みのない作曲家で、音楽評論家が絶賛するほどなのか、と正直思ったが、演出と卓抜した5人の主役陣の凄さにまさかのノックアウト。このシリーズの出し物で裏切られたことは一度もないが、今回のは、その中でも出色の公演と言えないか?ま、全部観たわけではないから、迂闊なことは言えないが。
ちなみに、ウィキペディアの抜粋にはこのような記述が。
本作は稀に見る完全に宗教的なオペラであり、基本的には、女声のために書かれているため、男声はたまに補助的にしか出てこない。ジャン・コクトーの台本による『人間の声』と同じくオーケストラは旋律線を演奏しないだけに、女声は自由になっている。その声楽様式はレシタティーボとアリアの混合である。女声合唱は2度に亘って無伴奏で2曲の宗教曲、第2幕の「アヴェ・マリア」と殉教者が断頭台に上がるおり「サルヴェ・レジーナ」を歌う。この2つの歌は、カトリックの伝統音楽からとったものではなく、プーランクによって特に書き直されたものである。
オペラでは、13名となっている。それにしても、白い十字架の上に、自らも十字架になった黒い人型が並ばせるシュールな視覚効果は抜群!
主人公、ブランシュを演じるイザベル・レナード(ニューヨーク出身、36歳)の美貌には驚いた。ブランシュはソプラノが歌うことも多いらしいが、レナードはメゾとは言え、高音域も楽々カバーできるソプラノだから、今後、どれだけ芸域が広がって行くのか楽しみである。
結局、父と兄を振り切って修道会入りを果たすが、元より覚悟があったわけではない。神経過敏で人一倍恐怖心が強いブランシュにとっては、やはり修道院がシェルターのように映っていたに違いない。つまり、「なんとなく、」のような感じで、とりわけ宗教にすがりたいとか神への帰依が強かったとは思えない。
案の定、ブランシュの下心は見え見えで、さっそく修道院長(カリタ・マッティラ)から厳しく申し渡される。いつも明るく振る舞う同僚のコンスタンス(エリン・モーリー、38歳、ソールトレイク出身、コロラトゥーラソプラノ、ジュリアード音楽院でレナードのクラスメート)に、違和感を覚えていると、「この世の中で神のご意志でないものは何一つないし、私はまったく死を恐れない」とはっきり告げられ、以来コンスタンスにシンパシーを抱くことに。
修道院長を演じたマッティラ、初役ということだが、激痛にのたうち回りながらの大熱演、さすがの熱唱で、終演後の拍手も一番大きかったようだ。58歳にしては、かなりの老け顔だが、歌はまだまだ行けそうだ。この役をこんな風に演じられるソプラノ歌手はざらにはいないだろう。日本だと、もしかすると板波利加ならできるかも。
一心にSALVE REGINA(聖母マリアを讃える聖歌)を歌いながら、自分の番をまつ修道女たち。ここでは14人。やがてブランシュが加わることに。
一時逃亡したブランシュも、最後に勇気を奮い立たせ、この場で、挽かれる寸前のコンスタンスに再会し、笑顔で後に続くのだった。
ギロチンのシュルシュル、ガタンという不気味な音がかなりリアルに15回も響き、心臓に悪い。
付け加えるなら、新修道女長を演じたエイドリアン・ピエチョンカもマッティラ同様、ソプラノ・ドランマティコ。日本人歌手では滅多に聞かないタイプ。カナダ人だが、この名前からして、両親のどちらかは東欧系だろう。マリー修道女長にはスコットランド出身のカレン・カーギル。マッティラ以外は全員アングロ・サクソン系。
演出がまた素晴らしい。内容からして、どうしても単調な舞台になりがちなのを逆手にとって、随所に大胆な動きを取り入れており、それが斬新な装置をあいまって、この作品に生き生きとした彩りを添えたと言っていいだろう。コスチュームも照明もすばらしいの一言!
#36 画像と動画はMETライブビューイング公式サイトから