ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

間に合うかな?

210605 TOKYO OTA OPERA PROJECTは昨年、コロナ襲来直前に駆け込みで上演できた「こうもり」短縮版に続いて、第2弾はオペラ・ガラコンサートという形で、華麗なソリストたち、そしてフルオケ伴奏という豪華版で昨年秋に開催予定でした。ところが、ご承知のような事情で一度も練習することなくあえなく延期となり、いよいよこの8月に延期公演が実現することになりました。

4月の1回目の練習の後は、緊急事態宣言入りとなり、リモートによる、もっぱら各国語のディクションとリズム読みぐらいのことしかできず、やっと6月に入り、対面での練習が再開されました。練習会場となっている下丸子の区民プラザ大ホールで、パートごとに事前に指定された座席に陣取り、舞台上の合唱指導の先生とピアノに合わせて一通り歌いました。

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音合わせは一度、「こうもり」からの楽曲だけでしたので、イタリア語の「トラヴィアータ」から「乾杯の歌」、「ナブッコ」の「行け黄金の翼に乗って」、フランス語による「カルメン」の「ハバネラ」まで、ごく軽めに合わせただけで時間いっぱいに。

もともとは9時までが練習時間なのですが、現下の情勢では8時までとホール側から指定されていて、当初予定の進捗状況からはかなり遅れている感じは否めません。2ヶ月半後の本番まで、あと13回しか練習が組まれていません。今後の状況いかんで、臨時の練習を加える案も浮上しているようですが、不安は拭いきれません。

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今回もご覧のような豪華なソリスト陣、マエストロ、スタッフ陣に恵まれています。しかも初めてフル・オーケストラの伴奏で歌わせてもらえるのです。合唱団の出来・不出来が公演成功の鍵を握ると言ってもいいでしょう。ここはなんとしても、踏ん張らないといけません!ちゃんとたっぷり自習して練習に臨みましょう。

「モンドリアン展」@SOMPO美術館

210604 諦めていた展覧会に会期終了直前に滑り込めました。

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あるところから入手した特別鑑賞券を無駄にするところでした。ずーっと「現在閉館中」とホームページに記載があり、緊急事態宣言が延期となったので、本来ならこれでアウトなのですが、都は映画館、美術館・博物館などについての基準を緩めたので、会期の最後の1週間が再開となりました。特別鑑賞券の有効期間は6/4までとなっていて、まさに最終日に滑り込めました。予約制で、11時半の回を確保し、生憎の天気の中、1年半ぶりに新宿へ向かいました。

今回はモンドリアンの油彩画が54点(うち2点は国内の美術館蔵)、同時代の画家の作品が12点(うち5点は椅子などの家具)。収蔵品コーナーでは、ゴッホの「ひまわり」だけが特別の扱いで、他に、セザンヌりんごとナプキン」、グランマ・モーゼスケンブリッジ谷」東郷青児の「望郷」、なぜか私が一番好きなゴーギャンの「リスカンの並木道」の展示はなし。

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「アリスカンの並木道」ゴーギャン

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かつてはこの左側、損保ジャパン日本興亜ビル(旧安田火災海上本社ビル 1976.4)の42階にあった損保ジャパン日本興亜美術館(旧東郷青児美術館)が、昨年5月に同じ敷地内に新たに6階建の美術館専用ビルを作り、引っ越したのですが、コロナ禍で私には今回が初めての来館です。

以前は、42階まで上る面倒はあったのですが、上がってしまえば鑑賞はワン・フロアで完結していたのが、今は3階から5階までのスリー・フロアが鑑賞スペースとなり、多少不便を感じます。(戻って作品を見直す時など)

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雨に濡れたなかなかモダンなアプローチです。

さて、ピート(またはピエト)モンドリアン(1872-1944)、特に好きな画家ではありません。展覧会では、大体最後の方に近代・現代絵画部門の端の方に登場するような作品という程度の認識でした。そもそもモンドリアンの大規模な回顧展には行った記憶がないので、多分、まとまって作品群が見られたのはこれが初めてのような気がします。

オランダ中部、ユトレヒト近くで生まれ、ゴッホなどと異なり順調に画家の道へと進んだようです。

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初期の作品はこうした画風。

ゴッホ同様、初期は普通にちょっと暗いタッチの具象画を盛んに制作していたようです。それが突如変化するのが32歳の時の「ニステルローデの納屋」で、後のコンポジションを思わせるような直線でかちっと区切られた農家が登場します。

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左が「ニステルローデの納屋」

36歳の作品「二人の肖像」でも、後の何かを暗示するような画風の変化が見られて、この辺り、実に興味深いです。

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「二人の肖像」

回顧展ならではの醍醐味とでも言うのでしょうが、画家は誰しも画風が変わっていくのがほとんどで、その間、外界の影響を受容しながら、自分の作品へ投影を試みるわけですね。最初からいきなり抽象という人はまずいないのでしょう。
もっとも、イタリアのジョルジョ・モランディ(1890-1964)のように生涯、静物と風景、それもビンばかり描いていた画家もいますが、普通は具象からスタートして、ピカソのようにものすごい変化を遂げてどの時代でも天才ぶりをいかんなく発揮した特異な才能の持ち主も出たりします。

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これなども、突如、色彩が明るくなります。しかも、補色を意識して。なんとも斬新です!ゲーテの補色に関する理論の影響なども見られます。

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色の分解理論も当然知っていて、こうした点描画法も実験的に制作に取り入れています。

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これはパウル・クレー風でしょうか。キュービズムにもどっぷりと。

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辿り着いた先がコンポジション。小さな正方形を一つのモジュールにしています。

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家具や建築デザインにも関心を強めていきます。

ル・コルビュジエにも通じるような作品です。

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座ってみたが、落ち着かない。

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さすがに小さすぎて、座るのは諦めた。

こうしたカチッとした幾何学的な作品、見た目には美しいとは思うが、あまり実用的とは言えません。

「STAY」@Amazon Prime

210527 米 99分、2006年公開、監督: マーク・フォースター(52、ドイツ人、「007/慰めの報酬」'08、「ディス/コネクト」'12、「ワールドウォー Z」'13))

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この豪華なキャスティングに惹かれて鑑賞。

ちなみに米国製ですが、マクレガーはスコットランド、ワッツはイングランド、ライゴズはアイリッシュ系カナダ人。贅沢な顔合わせです。これ、日本公開時、まったくノーマークでした。ちょっと「マルホランド・ドライブ」を思わせるような内容です。

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冒頭シーン。NYの橋の上での多重衝突で奇跡的に一人生き延びた(?)ヘンリー(ライゴズ)が夢遊病者のようにふらつきながら歩いています。ラストにつながります。

ヘンリーを診ることになった精神科医、サム(マクレガー)が、彼の言動に引き込まれ、また怪しみます。今度の土曜日、自分の21歳の誕生日の真夜中、橋の上での自殺を仄めかします。

家に帰り、パートナーのライラ(ワッツ)にこの話をすると、過去に自殺未遂経験のある彼女が大いに興味を示し、会いたいと言いますが、自分の患者の守秘義務固執します。

その後、ヘンリーは夢の話をし始めます。最初は取り合わなかったサムも徐々にヘンリーの中に潜む謎を知りたいと思うようになっていきます。不思議でシュールな映像が増え始めます。現実なのか、果たしてこれは夢の中か、容易に答えがみつからないまま・・・。

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こうした幻想的な映像が後半、どんどん増えていきます。

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そこに存在しない相手を追うサム、螺旋階段で落ちていきます。「めまい」の世界!

場面転換が実に巧みに構成されて、それはもう見事としか言えません。後半、すっかりヘンリー・ペースに巻き込まれたサムが見る世界はどんどんゆがみ、ひずんでいきます。

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原題をそのまま使うしかなかった邦題。ラストシーンは冒頭の橋の上、大事故直後です。死にいくヘンリーを必死で助けようとするサム、そしてライラ、"Stay with me! Look at me! Stay with us! "  99分ですが、スクリーン、じゃなくて画面から一瞬も目が離せませんでした。

蛇足ですが、現在、一番若いライゴズが40歳、マクレガー、50歳、ワッツ、53歳。今から15年前の作品ですから、みんなすごく若いのです。ゴズリング、この時、まだ25歳!演技はしっかりしています。マクレガーはいつも通り。ワッツさん、地味だけど素敵な女優さんですね。若い頃、一時日本でモデルやってたということで、なんとなく親近感、持ってしまいます。半開きの口元がとてもチャーミングでした。

「そしてサラは殺された - シーズン2」@Netflix

210526 

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予告通りシーズン1の配信終了して素早くシーズン2が配信開始となりました。

シーズン1にも書きましたが、⬆︎このタイトルロールの女優がまったくインパクトがなくって、唯一もったいないと思いました。他の役者さんたちは割りにうまく演じていて、そこそこ存在感もあるだけに惜しいキャスティングです。

悪の権化みたいな父親セザール(ロイヤル・パラダイスという五つ星ホテル経営者で、裏では闇商売を展開中)、それ以上に悪辣さを隠し持つ母親マリアーナ(夫に悪知恵をさずける才覚があり、マクベス夫人のように夫を自在に操ります)を両親にもつ長男、ロドルフォ(親父の脛を齧るだけの無能男、粗野で野獣のごとし)、次男、チェマことホセマリーア(ホモで、弁護士のロレンツォと恋仲)、長女、エリーザ(この一家で唯一まともな人間です)という一家が中心的存在です。

18年前に、海辺にバカンスに来ていた一家、この一家に親が仕えていたという関係で、アレックスとサラという兄・妹もジョインして過ごしている時に事件が起きます。サラがパラセール中にロープが切れて落下、死亡という悲劇が。さて、これは単なる事故ではなく、ロープがあらかじめ細工されていたことが判明し、誰が犯人かという展開になります。

この事故の顛末ですが、セザールが、死んだサラの兄、つまりアレックスに罪を被らせ、その代わりにとさまざまな好条件を約束するのですが、果たされることはなく、18年後、刑期を終えたアレックスが娑婆に出て、セザール及び一家に復讐を決意、もてるIT技術をフルに活用してセザールたちを恐怖に陥れます。

とここら辺までが1で描かれていて、そろそろセザール一家への復讐を果たす時なのですが、ここから二転三転、大きな変化が見られます。まずセザールのすべての悪事の片棒をかついでいたセルジョとの関係がギクシャクし始め、なんと裏切られます。

さらにチェマの庭先に埋められていた謎の死体はいったい?チェマと恋人ロレンツォとの仲違い、ロレンツォの死、彼らの子供を宿している代理母役のクララには実の姉、マリフェル(サラの親友という立場ですが)がいて、この女がプンプン匂います。怒涛の展開です。

フラッシュバックで頻繁に時間軸が入れ替わり、演じる俳優もそれに合わせて変わりますから、結構ついていくのが大変でが、そこさえきちんと押さえられれば、そこそこ見られる作品です。舞台がメキシコ、出演者もほとんどメキシコ人というところが興味深いところです。

シーズン3へと続いていく幕切れです。

「靴ひも」@イタリア映画祭

210523 LACCI(ひも)100分、脚本・監督:ダニエーレ・ルケッティ

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初めにお断りしておきますが、ネタバレが含まれますので、そのつもりで。        

先日の「もしも叶うなら」に続いて2本目の鑑賞作品です。いやあ、面白かったです。期待をはるかに上回る出来栄えで、大満足でした。それに、人気の俳優がずらりです。それからラベスという名の太った猫と仕掛け小箱が伏線となります。

ローマのラジオ局に勤めるアルド(ルイージ・ロ・カショ)、住まいはナポリで家には奥さんのヴァンダ、長女アンナ、長男サンドロとの4人暮らし。通えないことはないけど、朝早い番組を受け持っているため、週末だけナポリという生活になっています。1980年代後半です。

ある日、突如、アルドが「実はつきあっている女性がいる」とヴァンダに衝撃の告白をします。本人は至極簡単に考えているようですが言われたヴァンダにしてみれば、大ショック、まあ当然ですよね。出てけ、じゃなきゃ、アタシが出ていくからってんで、仕方ない、アルドはすごすご(内面はシメシメかも)ローマの付き合っている女、リディア(リンダ・カリーディ)の元へ。

ああは言ったものの、子供たちのことを考えるとそうも行かず、ヴァンダは作戦変更、ローマのラジオ局まで出向いて、アルドに帰って欲しいと懇願することに。建物の階段ですれ違う女がくだんの女だと直感し、睨みつけます。すごいですねぇ、女の直感!

場面が変わって、ローマの高級そうなマンションでの初老夫婦、実はこれが20年後ぐらい、つまり2000年あたりのこの二人という設定です。子供はそれぞれ独立して二人暮らし。いかにも文化人っぽいたたずまいの室内が映されます。ラベスという名前の猫を、とくにヴァンダが可愛がっています。

ある日、配送業者の女が荷物を届けにきて、代引きなので、言われた額を払うと釣りがないと言われ、んじゃ、あんたのチップとしてとっておきなさいと鷹揚な対応。ところがやりとりを聞いていたヴァンダ(初老のヴァンダ役はラウラ・モランテさすがに老けましたが、まだまだ美しいです!)が、それはやりすぎよ、と責め立てます。ま、いいじゃないかとその場を収めるアルド(シルヴィオオルランドに替わっています)。

日本ではおよそ考えられないのですが、配達業者が室内まで入ってきて、その辺に置いてあるものの品定めみたいなことまでやります。この時、赤い市松模様の小箱をめざとく見つけると、アルドがこれは絶対に開けられない箱だと、謎めいたことを言います。いわゆる仕掛け箱。箱根の寄木細工と同じですね。

これからヴァカンスで二人で海辺の街でゆったり過ごすことに。出掛けに家の近くでさっきの配送の女が曰くありげな男と談笑中。このシーンも伏線みたいに挿入されています。ここでヴァンダが、さっきのやりすぎたチップの件をぶり返して、私が交渉するって降りようとします。アルドがなだめて、海辺へ。

ヴァカンス終えて帰宅したら、部屋中、荒らされてしっちゃかめっちゃか。呼べど叫べどラベスは出てきません。アルドは猫どころでなく、大事な赤い小箱が無事だったことに安堵しますが、中身がぁ〜〜〜!

結局、アルドとリディアは別れたみたいです。場面変わって、現代。若い男女が待ち合わせて、ひさしぶりにメシでもどう?ということに。その前に、猫の餌、やらないとね。ってんで、二人でその家に向かいます。成人したアンナ(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)とサンドロ(アドリアーノ・ジャンニーニ)です。

二人でさんざん両親のことをなじります。そりゃまあ、自分たちをほったらかして外に愛人を作っていたんですからねぇ、そうなりますワ。特にアンナは痛烈にこきおろします。知ってる、父さんだけじゃないのよ、愛人がいたのは?ってサンドロに。じゃ、証拠探し、してみるって言い出すアンナ。

赤い小箱の開け方もちゃんと知っていて、出てきたのはアルドが撮影した素っ裸のリディアの写真です。さらに、マンマの不倫の証拠も探しちゃおうってんで、家中の家具調度品、什器備品類、本、CD、etc.を片端からそこらじゅうにぶち撒け、引き倒し、せいせいとして、ラベスを連れて引き揚げます。(マンマの不倫の証拠は結局、なんだったんですかね)

と言うわけで時間軸をスパッと変えた演出が見事です。すばらしいです。

どうでもいいですが、「もしも叶うなら」にも出演したアルバ・ロルヴァケール、名前からして純イタリア風ではありませんが、ご面相もちょっと違います。いわゆるホリの深い白人の顔ではありません。つまり眼窩が平板でアジア風ですらあります。だから、一度見たら忘れられない女優ということになります。今、イタリアでは最も人気の高い女優の一人でしょう。

猫の名前、ラベスにも謎が隠されていました。宅配業者の女に問われて、アルドはイタリア語のLa bestia(動物、獣)の省略形でラベスだと説明しています。ところがヴァンダ(初老の方)がラテン語辞書で調べると、荒廃、崩壊、衰退、etc.とロクでもない意味なのです。このことは、娘のアンナも後年、弟のサンドロにも解説しています。猫の名前も暗示的に使われているのですね。