130706-08 琵琶湖ホテルへ2泊し、周辺を観光した。その間に関東が梅雨明け。こちらはまだでも、暑さはひとしお。参った!
満室ゆえ、スタンダード予定だった部屋が12階のスーペリアに格上げされていて、ラッキー!眺望絶佳だが、忙しい日程でゆっくり眺望を楽しむゆとりがなかったのはチト残念!
せっかくマッサージ・チェアも琵琶湖向きにセットされているのに、
ウィスキーでも舐めながら、こうした風景を賞でるもの一興だったのに、
こんなお洒落な器がさりげなくテーブルの上に。中には涼しげな青い金平糖が。このホテル、ちょっとした気配りがあちこちに行き届いていて、二人でただただ感心するばかり。
さっそくJRで近江八幡へ。駅前からバスで市心の小幡町資料館前下車。⬆古いたたずまいが残る新町通り。
嘗て近江商人が活躍した歴史保存地区の一角、新町浜。八幡堀が町に潤いを与えている。
堀を巡る観光船がゆったりと。いい風情だ。
まだ紫陽花が
こうした雰囲気の町は、今やそうざらにはない。時代劇の撮影場所に選ばれるのも頷ける。
堀に沿って遊歩道があるのがすばらしい。
明治38年に宣教師としてここに滞在し、いくつか洋館建築(東洋英和女学院校舎など)を残した米人、ウィリアム・メレル・ヴォリーズ(William Merrell Vories)の銅像。有名なメンソレータムを日本で普及させた実業家と、いろんな顔を持つ人物。この銅像はメンソレータムの近江兄弟社本社ビルの前に建立されている。ところで、近江兄弟社は、その後苦境に立ち、ROHTOにライセンスを売却、その後、再建されたが、メンソレータムの商標が使えず、やむなくメンタームとすることに。
彼が設計した建物の一つ、旧八幡郵便局。昭和34年頃まで実際に郵便局として使われたらしい。現在はギャラリーとして利用されている。
正面玄関
2階も自由に見学させてくれる。
奥にヴォーリズの日本語サインが。
こうした街並には古いタイプのポストが似合う。
翌朝はホテル周辺を散策。奥がホテル、手前はレストランやゲーセン、スポーツジムなど。昭和9年(1934年)開業のホテルで、戦後は進駐軍に一時接収され、その後、今の場所に移転し、全面改装された京阪グループ所有のホテル。威容を誇るが客室面積が35~40m2もあるので、部屋数としては、100室に達しない。
琵琶湖クルーズ船が停泊中。
その後、京都造形芸術大学構内「春秋座」でのオペラ「マダム・バタフライ」観劇(別項目)のため、京都へ移動。地下鉄の階段に、消費カロリーの表示が。
ロンドン発祥で、世界で80店舗もあるLUSHへ。外観の面白さにつられて店内へ。
店員に勧められるままに石けん選びに余念がないうちのカミさん。
最終日は浜大津から池上線のような雰囲気の京阪石山坂本線で終点坂本へ。
日吉大社の奥に飛竜の滝。奥の廃屋然とした建物は、実は現役で、滝を観ながら食事が出来る。
小川のせせらぎを聞きながら境内を歩いていたら、こんなかわいい水車が。管理している老人に尋ねると、今では使われなくなってしまったが、嘗てはこの水車の中に里芋などを入れて、洗っていたとか。昔の人はやることが風流だ。使われなくなったが、そのまま残していて、一日何回かは巡回して水車が泊まっていないかチェックしていると実に楽しそうに話してくれた。
参道を歩いて坂本駅へ向かっていたら、さきほどの老人にまた会った。誘われるままに中に入ると、昼間だけ使っている家だとか。風雅な名前がついている。
室内には江戸時代ぐらいから使われていたような古道具がさまざま並べてある。また、⬆は醤油作りの大桶だそうで、今は倉庫代わりに利用している。「水琴屈」とあるのは、⬇
fixer316さんが撮影した動画を拝借。この竹筒に耳をつけるとかすかに水滴が落ちる音が聞こえる。これが水琴という訳である。風流なことをされる老人だ。
庭に花筏が。この実は鹿の好物だそうで、鹿の住む山野ではたちまち食べられてしまうとか。花は
こんな風に咲くとか。
敷地内に活けてあった桔梗。
同じく参道に沿ってこんな名前の中学校が。比叡山中学校と延暦寺学園という看板。普通校らしいが、坊さん養成スクールかと、事務所に確認したら、笑われてしまった。
これが「飛び出し坊や」と呼ばれる標識。無論ドライバーに注意を喚起するためのもの。全国でいろんな形態・色があるが、滋賀県では、これが採用されているらしい。
こんな風に、見えるだけでも3体。