130911
1964年、東京オリンピックの年に1年私費留学をしたのだが、往路、横浜からマルセイユまで乗船した「ラオス号」の「船友」たち有志で、このほど50周年記念航海記を出版する運びとなった。
各自、紀行文の他に当時の写真提出を求められたのだが、我が家が1966年夏に全焼したため、それまでのアルバム類はすべて焼失していた。ただ、奇跡的に生き延びたアルバムが何冊か。しかし、航海時や留学先での写真はほぼ全滅であった。
ダメモトで探していたら、当時はやりのハーフサイズで撮影したカラーポジが引き出しの奥から出て来た。さっそく近所のDPE屋でCDに焼いてもらった。当然、褪色が激しいし、さらにハーフサイズゆえ、画質も最悪だ。
三等船客の甲板での楽しみの一つ、ベビーフットに興じる愚亭(手前左)
インド洋かマラッカ海峡ですれ違う姉妹船。確か、これから日本へミロのヴィーナスを運ぶ船だった筈。
北伊ノヴァーラのペンフレンドの家で。二人ともかっこうつけてるが、ビール瓶が置いてあったりと、冴えないセッティングだ。
帰りの船がポートサイドからスエズへ移動する時間を利用してのピラミッド観光に参加。仕事でもないのに、何故か背広・ネクタイ姿。
ところで、その火事で焼け残ったものの中に、当時の航海を綴った日記帳があった。
端が焦げているが、中は見られる。
たったの200円!
1ペイジ目は1964.2.24、出発風景。一部、水をかぶって万年筆の字がにじんでいて判読不能だが、当時の興奮が伝わって来る。