ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「永遠の0」

131224 百田尚樹原作のベストセラーの映画化。予告編を、多分10回以上は見ているので、なんとなく既に見たような気分になっていた作品。144分とかなりの長尺だが、それを感じさせないというのは、脚本の出来もよいのだろう。

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原作を後から読んでみたが、戦友たち8人もの口を借りて、真珠湾から沖縄戦まで太平洋戦争の全貌を、縦軸に主人公、横軸に零戦を置いて描いて行くから、当然長くなる。それだけに、映画化に当たっては、原作に忠実になり過ぎて冗長になることなく、よくぞこのような映像作品に仕上げたものと、感嘆あるのみ。見事な手腕である。ウルウルする場面、少なからず。

 

一緒に暮らしていた祖父が、実は祖母の再婚相手であり、実の祖父、宮部久蔵が元特攻隊員だったという、それだけを頼りに、戦友たちを一人ずつ探り当て、ついに、驚くような事実が隠されていたことを知る孫の姉、慶子と弟、健太郎。

 

実の祖父を知る戦友たちの中には、命を惜しむ、意気地なしの男と宮部を一刀両断する者がいて、さすがに気落ちして、調査の継続を断念しかかる孫たちだったが、やっと彼を擁護する戦友が現れる。

 

実は、沈着冷静、しかも科学的な分析力を持ち合わせた宮部は、零戦を知り尽くしているがゆえに、過信を戒め、特攻のバカバカしさ早くから見抜いている。当然、そうしたことは、態度や言葉に現れない訳がないから、凡庸な同僚・部下が見れば、腰抜けに見えても仕方がない。

 

こうして、彼らの実の祖父の実像が明らかにされ、溜飲を下げることが出来た孫たちだったが、最後に想像を越える事実を、母の再婚相手、つまり今を生きる祖父自身の口から聞くことになる。

 

今更だが、零戦は、当時世界最高水準の操作性を備えた戦闘機で、アメリカのグラマン、英国のスピットファイア、ドイツのメッサーシュミット、いずれもまったく対抗出来なかったと言われている。

 

また、航続距離に至っては3000kmと途方もないもので、それ故にこそ、ラバウルから長駆ガダルカナルまで飛んで敵機と渡り合い、再び1000km以上も飛んでラバウルに戻るという離れ業を可能にした。(因に、バトル・オブ・ブリテンで、メッサーシュミットが英国上空で戦闘できたのは僅か15分と言われている)

 

しかし、それは人間性をまったく度外視した思想に基づくもので、こんな無茶苦茶な計画を建てる大本営に、早くから疑問を抱いていた主人公、並外れた操縦技能と経験を備えているだけに、この無謀な戦争にむざむざ殺されたくない思いが強くなって行ったのは分かる気がする。そこが作者が一番伝えたかったところだろう。

 

ついでにもう一つ。訪ねた戦友の一人、武田(映画では山本學)が、慶子に同行したフィアンセ(予定)のジャーナリスト、高田と激しい論争をする件(くだり)がある。特攻隊は、9.11のテロリストと同類ではないかとする高田に、猛然と武田が反論する。ところが、映画では、健太郎が、合コンの席上、クラスメートから、特攻隊=テロリスト論を言い募る相手に、激高し、憤然と席を立つシーンに置き換えられている。結構大事な部分と思うのだが、それが映画では弱められていたのだが残念。

 

現在と68年前が交互に描かれる。CGの出来映えは想像以上で、完璧な迫真力。多分に好みの問題だろうが、主人公の若き姿を演じる岡田准一は端正過ぎな上、小柄で、ミスキャストに思えた。もう少し影のあるような役者にやって欲しかった。

 

今の祖父を演じる夏八木勲は、これが遺作らしい。癌と戦いながら、4、5本を撮ったわけで、凄まじい生命力には驚かざるを得ない。

 

サザンオールスターズ桑田佳祐が歌う主題歌「」が余韻を残す!

 

 

#108 画像はALLCINEMA on lineから。