141022
2年ぶりにフランスへ行った。今回は、橋が掛かったモン・サン・ミシェルと、「フランスで一番美しい村」指定の一つ、Beveron en Auge(ブヴロン・アンノージュ《カルヴァドス県》)を見るツアーに参加。6日間だから、現地泊は僅か4泊と、これまでで最短のフランス旅行となった。
到着日は夕方でもあり、空港近くのホテルに1泊。2日目、パリには入らず、そのまま西へ進み、ルーアンを見学。
そびえる尖塔の高さはフランス随一らしい。ここでは、やはりノートルダム大聖堂が最初の見学箇所。
内部も豪華、かつスッキリしている典型的ゴシック教会。スケールではパリやストラスブールの大聖堂には及ばないようだが。
一隅にジャンヌ・ダルクの像がひっそりと。
現在、大聖堂正面は工事中。真向かいにあるのは古い立派な建物。1階に当地の観光協会が入居している。2階の一室は、実に30点もの大聖堂の連作を描いたモネが貸し切って使用していた。
異彩を放つこの建物はジャンヌ・ダルク教会。このすぐそばで焼き殺された。享年19はいかにも痛ましい。1431年5月30日のこと。
ルーアン市内で、添乗員が指し示す時計台に一斉にカメラを向ける団員。なんと、私以外は全員女性という珍事。
ここの時計台もベルンに負けず豪華なものだ。
昼食後、さらに西に向かい、エトルタ海岸へ。
印象派の絵で見慣れた風景が広がる。10月中旬と思えないほどの暖かさ。
反対側にも同じように窓の空いた岩が見える。
ここで名画をものした画家は数知れないが、ここにはモネの作品のレプリカを、実際に見える風景に合わせて展示してある。
夕暮れ時、やっと姿を遠くに現したモン・サン・ミシェル。感激の一瞬。
モン・サン・ミシェルは、娘が2歳の時に訪れて以来。右側が最近できた橋。手前には依然残されている土手で、この上をシャトルの電気バスが、割に頻繁に往復する。土手が撤去された後は、橋の上を走るのだろうか?それとも歩行者限定?歩くと片道40分かかるけど。
宿泊したホテル(Hotel Mercur)の部屋からかろうじて見えるモン・サン・ミシェル。午前8時頃だが、依然夏時間採用中だから、この暗さ。
参道(Grand Rue)へ。両側はびっしりと土産物屋が並ぶ。これから350段以上も上るから、今はこんな格好をしているが、全員間も無く上着を脱ぐことに。
僧院の一隅にはこんな立派な回廊がもうけられている。驚嘆あるのみ。
てっぺんにある金ぴかの聖ミカエル像を、ヘリコプターでとりつけた様子が、模型で紹介してある。
こんな証明書が用意されていた。
クエスノン川が投宿したホテルの裏をモン・サン・ミシェルに向けて流れているが、途中、堰が設けられていて、流水を調節して砂州が肥大しないようにしているとか。その堰の上で撮影。
お昼は、プーラールおばさん(Mere Poulard)で作られているオムレツとそっくりなものが出されたが、泡ばかりで実体がなく、大したものではない。
午後は、高速を戻る形で、途中から県道にそれ、やがていよいよ道幅狭く、村道へ。たどり着いた先はブヴロン・アンノージュ。
折り紙付きの美しい村だけのことはある。ショッピングや、カフェでのビールをたっぷり楽しんだ。
無理やり店の名前を入れたいからと、斜めに撮影してくれたツアー仲間。妙な店名だが、聞くと、昔は美容院、理髪店を兼ねたカフェだったからとの説明。ここから2時間半かけて日没寸前にパリ着。
宿泊ホテル12階の部屋からは、眼下にセーヌ川と中の島、Ile de Cigne、左手にはミラボー橋と自由の女神が見える。
翌日はこれまで一度も行ったことのない美術館、ニシム・ドゥ・カモンド美術館へ。モンソー公園に面する一角にある。ユダヤ系大富豪、モイーズ・ドゥ・カモンドが建てた邸宅と豪華な美術・骨董品で満たされているこの美術館、元々は邸宅だったが、一人息子ニシムが第1次大戦の空中戦で戦死、余りの悲しみと喪失感から、息子の名前を付けてパリ市に寄贈したとされている。日本語の音声ガイドがあるが、フランス語とフランス事情に疎い人が録音されたようで、ちょっと勿体ない。
好天に恵まれたので、この後、メトロでオペラに出、以前定宿にしていたHotel Choiseul Operaのフロント担当のおばちゃんとおしゃべり。その後、ルーブルまで歩いてニケとモナリザとナポレオンだけにご挨拶。そこから河岸に出て、川っぷちをひたすら歩いてホテルまで。2万歩以上は歩いたので、さすがに疲れた。
ヴァンドーム広場に面するホテル・リッツはただいま大改装中。広場の中心にある円柱は工事期間、このような広告塔に様変わり。
ジャック・ルイ・ダヴィッド作「レカミエ夫人」。素敵な作品だ。左側にはダヴィッドの自画像。
バトームーシュも、大盛況。こんな暖かい日曜日も今季はこれが最後だろうからねぇ。
特徴ある2段構えのソルフェリーノ橋、両側手すりにはびっしりと恋人たちの鍵が。余りの重さを心配したパリ市当局がとうとう撤去に踏み切り、だいぶスッキリはしたけど、ちょっと可哀想。
落書きボードも設置されているし、
このようなウォール・アートも。
子供を遊ばせる仕掛けが随所に。
無料指圧コーナー。無料だが、やはり皆5ユーロぐらいのチップは出していた。
特徴あるニキ・ドゥ・サンファルの作品もさりげなく展示されている。
ヴェリブ(貸し自転車)は世界の大都市の中で、パリで最初に始められたシステム。旅行者は簡単には借りられないみたい。
エッフェル塔の下は結構洒落た公園になっている。この辺が無愛想な東京タワーやスカイツリーと大きく異なる点だろう。
一方、チュイルリー公園も負けていない。いろんな巨大アート作品を並べている。
オルセーが開館するまで印象派の作品を見せていたジュー・ドゥ・ポム、現在は企画展専門の画廊に。ひっそりとしていて、昔の面影はない。
出発直前までシャンゼリゼを散策していが、凱旋門手前左側にはかつてAIR FRANCEの本部が入っていたのだが、⬆️今はこのようなモダンな造りの建物で、中は飲食関連の施設。
今回使用したホテルは、いずれもフランス最大のホテル会社アコールが経営するもの。到着日は⬇️このHOTEL IBIS STYLESという✳️✳️✳️。スタッフが不足でサービスが行き届かない。設備もあまり感心しなかった。
⬇️2泊目はモン・サン・ミシェルにあるホテル・メルキュール。ここも✳️✳️✳️。
低層で、使い勝手のよいところだった。イビスに比べると、ハードもソフトも✳️半分上級な印象。
そしてパリはかつてホテル・ニッコーとして1975年春に開業したホテル。(⬆️茶色い建物)その後、ACCOR HOTELS に身売りして現在はノヴォテル・パリと称している。もちろん、中も改装しているので、部屋自体は問題ないがロビーがことさら狭く雑然としていて、あまりお勧めできない。
⬆️このようにデザイン性は高いが、必ずしも使い勝手がよくないところがねぇ、デザイナーの唯我独尊というか・・・。
我々の過ごした1202号室は、隣の建物からの西日の照り返しが凄まじい。正面はRADIO FRANCEの特徴ある丸型建物。
まる1日半しかなかったパリ滞在だったが、それなりに効果的に使えて、一応は満足。物足りないかと言えばその通りだが、一月いたとしても、去りがたさは同じ町だから仕方ない。パリはこれが最後かも知れないなぁ。