150401 このブログ、月ごとの画像容量に上限がある(有料にすれば無制限だが・・・)ため、前半、あまり景気良く掲載しちゃうと月末には、容量不足で画像掲載不可となる。このため、なかなかこの記事の続編が書けないまま、4月を迎えた。
さて、8日間のツアーも今日で5日目。アッという間に残り少なくなった。モニュメントバレーから向かった先はアンテロープ・キャニオン。
ま、呆れるばかりである。主に鉄砲水がかくもなだらかな曲面を造ってきたらしいけど、それにしても地層の模様と色が実に美しい。われわれはアパー・アンテロープ・キャニオンを見たが、ロウワーの方がスケールが大きいらしいことをあとで知った。多分、所要時間などの関係で、団体客はアパーを見るようだ。それでも、十分納得である。
ちなみにアンテロープとは、レイヨウ(羚羊)と言って、長い角を持つ牛のような動物⬇︎。馴染みのアメリカ民謡「峠の我が家」(HOME ON THE RANGE)の歌詞に, where the deer and the antelope play・・・という具合に登場する。尤も、この民謡、アリゾナ州ではなく、カンザス州の州歌だそうだ。
ここが出入口。どことなく、一昨年訪ねたペトラ遺跡に似ていなくもない。
旅の最後は、いよいよグランド・キャニオン!!
まずは夕日ポイントへ。⬇︎
グローフェの「グランド・キャニオン組曲」をiPodに入れてこなかったという痛恨のミス。ああ、ここで聞きたかったなぁ!
グランドキャニオンの中にあるMASWIK LODGEに宿泊。そして翌朝は5時半起床で、今度は朝日を見に。(カメラの日付は日本時間のままなので、変わっていない)
しかし、こうしてカメラに納めても稜線しか見えないなら、どこの風景か不明で、あまり面白くないね。
午前中の自由時間を利用して山道ブライト・エンジェル・トレイルを降りてみるが、どこまで行っても、先が見えないし、帰りのことを考えれば適当なところで、折り返さざるを得ない。時間があれば、コロラド川のところまで行ってみたかったのだが。
絶景ポイントがほかにもありそうだが、広すぎてどうにもならず。後ろ髪を引かれる思いで、グランド・キャニオンに別れを告げ、ルート66を向かう。
この街道、元々はシカゴからサンタモニカに至る人気ルートで、これを舞台に文学や映画がいくつか誕生した時代もあったが、その後高速道路の出現で役目を終え、今は州道として、切れ切れに残るのみ。だが、往時の人気を少しばかり盛り返そうとの動きもあるようだ。州道間が連携して、新ルート66を目指そうというわけ。
火付け役がセリグマン(アリゾナ)の散髪屋、エンジェル・デルガディリオ。さすがに現役はとっくに退いたものの、まだまだ元気な87歳。このおっちゃんがHistoric Route 66 Association of Arizonaの創設者で、このセリグマンから同じアリゾナ州のキングマンまで、およそ120kmの州道(現在は州道40号線)をこう命名している。
現在は土産物屋を経営していて、店には滅多に顔を出さない。使用していた散髪用椅子が展示してある。
壁面には所狭しと、主として訪問者の名刺などが貼り付けてある。
エルヴィスがこの街道とどう関わったか知らないが、まあその時代の人気者の一人というわけか。
しかし、他の団員は「ルート66」がどれほど当時人気があったことを誰も知らない。例えば、その代表格がこちら。
多分、高校時代にしきりに見ていたテレビ番組だ。ジョージ・マハリスの歌声は、今でもはっきり思い出すことができる。歌詞は至極単純だが、この街道がどこを通っていたかがよく分かる。
ついでに、こんなものまで買ってしまった($18)
とうとう終着ラスベガスへ来てしまった。到着時と同じモンテカルロ リゾート&カジノは、ザ・ストリップの真ん中あたりで、恵まれたロケーション。無料噴水ショーを夜中までやってるホテル・ベッラージョまで歩いていける。
別にどうということのないショーだが、好きな人はこれを何度も見るらしい。その都度曲を変えるようだが、噴水の吹き上げ方にそんなにヴァリエーションがあるわけないのにねェ。
最終日、成田組8名は添乗員と一緒に夜明け前に出発。残された羽田組(3名)には午前中、ゆったりと自由時間があったので、私は街を一周。⬆︎この界隈は、前回出張で来た10年前とほとんど変わっていない。ヴェニス、ニューヨーク、パリ、ルクソール、中世のお城と、考えつく限りの奇妙なホテルを作り上げてきたが、そろそろ限界だろう。
L.A.辺りから車で来るカジノ客も含めればざっと年間4千万人が訪れると言う。そんなところは、世界広しと言えどここだけだろう。(住人は60万人!)しかし、賭け事に興味のない自分には、なんともうっとうしいほどにうるさい街で、一刻も早く退散したいと思った。
帰路は再びL.A.で乗り換え、辛抱強く機材・サービスとも最悪のデルタ航空で帰国。夜10時半羽田着。それでも同じ区内なので、11時半には帰宅できた。