150511 ボッティチェッリの名前につられてこの美術展を見ると、かなりがっかりすることになる。確かに、正式名称は「ボッティチェッリとルネッサンス」であり、副題も「フィレンツェの富と美」となってはいるが、なんとなく釈然としないまま、会場を後にした。
概要には、「・・・フィレンツェと運命をともにしたボッティチェリの作品10数点を含む絵画、彫刻、工芸、資料など約80点によって浮き彫りにします。」とあるが、実際に彼自身の手になる絵画(油彩及びテンペラ画)は7点のみ。ボッティチェッリの傑作と言われるものが1点でもあれば、断然輝かしい展覧会になった筈なのに。
尤も、今回の目玉、ピアチェンツァ私立博物館所蔵の「聖母子と洗礼者ヨハネ」⬇︎は5月6日までの期間限定展示で、これが見られなかったのは、当方の怠慢。
副題の「フィレンツェの富と美」、これが寧ろメインタイトルと心得ればよいだけのことなんだ。15世紀のフィレンツェの興亡史と言えば少々大げさだが、金満のメディチ家のメセナのおかげで芸術的に最も輝かしい時代が現出。やがてメディチ家の没落と共にフィレンツェにも翳りが見え始め・・・その中に、天才レオナルドより7歳年上のボッティチェッリをはめ込んだ、という趣向かな。
しかし、こうした宣伝の仕方はかなり罪作りだと思うね。ボッティチェッリの作品(油彩、テンペラ画)はわずかに7点しかないのだから。
それでも第1室にある「ケルビムを伴う聖母子」(一番上)は素晴らしい。1470年頃の作品というから、25歳ぐらいの時の作品。ちょっと口元がめくれ上がったような幼さの残る聖母と、悟ったような大人びた表情の幼子イエスが対照的である。
⬆︎243x555cmという大作、「受胎告知」は施療院付属聖堂、Santa Maria della Scalaにあった大壁画。淡い色彩で、この緊迫した場面を意欲的に描いている。現在、ウッフィーツィに展示しているが、いずれ元の位置に戻す計画もあるようだ。
⬆︎「聖母子と二人の天使」ストラスブール美術館蔵。極めて透明感漂うテンペラと油を用いた作品。レオナルドは、例のサンタマリーア・デッレ・グラーツィエ礼拝堂に「最後の晩餐」をテンペラ画で描いて失敗したわけだが、板に描く場合は、大変効果的な手法である。他にボッティチェッリ本人の作品としては、マイナーなものが4点あるのみ。他は「帰属」だったり「工房」だったり。
先日、NHKの日曜美術館でこの画家を特集したが、そこで紹介されたような「ヴィーナスの誕生」や「春」などの大作を見ないとボッティチェッリを見たことにはならないだろう。看板にある「天才画家の傑作 奇跡の大集結!」はちょっとねぇ・・。それにしても、怪僧サヴォナローラの影響などもあり、やがて注文もなくなり、世間から忘れ去られるようにして、65歳で没したそうで、ちょっと巨匠にしては寂しい末路だったようだ。
本展の仕掛けはまさに上の図(会場配布の資料から抜粋)のように、一応ボッティチェッリを中心には据えてはいるが、寧ろ周辺の囲みにある事象関連の作品や資料を多く展示していると言うのは言い過ぎか。
蛇足ながら、ボッティチェッリの表記だが、Botticelliはbotte(樽)に縮小語尾-celliが付いた形で、意味は小(こ)樽。自分でなく、兄がデブでメタボ体型だったことから、いつしかなぜか弟の方がこう呼ばれるようになったとか。ともあれ、正式な発音はボッティチェリではなく、ボッティチェッリである。チェに強いアクセントがつく。促音が二つあると、大体一つを省略してカタカナ表記することが多いが、表記可能である以上、正しく表記して欲しいものだ。