170402 そもそもドラマトルゥク(独語、Dramaturg)なる、かなり専門的な言葉は、ドイツの劇場で古くから一般的に普及している専門職を指し、制作とは独立して存在する、文学、美術など、深く広範な専門知識が要求される知的エキスパートのことだそうだ。それゆえ、日本ではさほど頻繁に使用される言葉ではないのかも知れない。
さて、今日登壇される方々がそういうエキスパートなのかどうか、よく知らないが、6月の公演はすでにチケットも入手しているので、興味をそそられ、3/25の園田龍一郎vs.加羽沢美濃レクチャーに続いて参加してみた。
配布されたレジュメには、以下の記載が。
■本公演の『ラ・ボエーム』演出について
・「幕」ではなく「景」(イタリア語では幕をattoというが、ラ・ボエームでは、絵や額を意味するquadroが使用されている)
・日本語上演であることを十分に活かした『ラ・ボエーム』
・いつまでも続くわけではないボヘミアン生活
■本公演『ラ・ボエーム』の日本語訳詞について
・聴こえてくるメロディーと日本語の関係
・訳された日本語がイタリア語でのっている形で聴こえる事は必ずしも絶対的な条件ではない。
・訳された日本語と音符との結びつき(より良い旋律の為の言葉となっているかどうか)。
ということで、やはり日本語での上演について、かなり神経をつかっている印象。実は自分も初めから日本語上演と知っていたら、多分予約しなかったと思うのだが、予約してから気づいたのでどうにもならない。
せめてアリアだけでも原語でと思うが、それも日本語になる。一部、第1幕の「冷たき手」Che gelida manina(樋口達哉)と第4幕の「古い外套よ」Vecchia zimarra(デニス・ヴィシュニャ)の2曲のみ、練習時の録音が会場で披露されたが、うーん、違和感たっぷり、それに何を言っているのか分かりにくい。まして外国人の日本語では、まったく意味不明だった。ま、そういうことも想定しているのか、6月上演時には日本語字幕も出してくれるようだ。(字幕制作も宮本益光担当)
日生劇場によると日本でのオペラの浸透を少しでも図るには、高校生ぐらいを対象にしたオペラ教室的な上演が効果的と考えていて、それには、原語上演より日本語上演の方がより目的にかなうと判断したようだ。
そういえば、イギリスでも、コベントガーデンのロイヤルオペラハウスは原語上演、イグリッシュ・ナショナル・オペラでは、すべて英語上演という住み分けがずいぶん昔から出来上がっているし、ウェールズ、スコットランドでも同様なシステムが根付いている。
ただまあ、英語とイタリア語の違いに比べ、日本語となれば、かなり異質なので、その落差をどう埋められるかだろう。オペラ自体をまったく、又はほとんど聞いたことのない若い耳には、ごく自然に受け入れられだろう。
問題はこれまでイタリア語でしか聞いていない自分も含めた大人の反応だろう。どんな感じがするのか、その点は楽しみでもあるのだが。