181222
初めて労音の第九の合唱に参加したが、今回は130回目という節目の第九演奏会であった。1954年から第九の演奏会は途切れることなく続き、1997年から年に一度の公演になったが、それまでは複数回の公演だったことで、この回数となったのだ。初年度は12月に9回も公演したというから、すごい話だ。
4人の中ではソプラノの高原亜希子だけ知らなかったが、かつて勤務していた会社の後輩の娘と判明、舞台裏で挨拶しておいた。ジョン・健・ヌッツォは知名度が高いが、これまで一度も生で聞いたことがなかった。やはり、この人、オーラがちょっと違うという印象。青山貴、小泉詠子は、これまでなんどもオペラ本公演、リサイタルで聴いており、実力のほどは熟知している。
マエストロ浮ヶ谷孝夫は、まったく知らなかった。それもそのはず、ドイツ在住であちらがベースで活躍されているのだから、無理もない。初稽古でも感じたが、いかにも人格円満という風情で、帰国当日、いきなり2時間以上も立ちっぱなしで汗をかきながら情熱的に指導していただいた姿が忘れられない。どちらかというと、かなり速い振り方。
楽屋口から螺旋階段を降りたところに楽屋が。
1961年オープン、途中で改装しているが、楽屋の一部や座席まわりだけで、主要部分、舞台周りはオープン当時のまま。
最終的には50席ほど売れ残ったらしいけど、舞台から眺める限りではほぼ満員。こんな舞台で歌えるのは滅多にないことであり、まことにありがたきこと。
8月下旬から4ヶ月に亘り練習を重ねてきたが、指導者の熱意と忍耐で、やっとここまで辿り着けたかと思うと感慨もひとしお。400人近い人数だから、中には各パートともかなり音のはずれた人もいるにはいたが、合唱というのは、まあそういうことも乗り越えて響かせることであり、その点では十分満足の行く結果であった。
終演後、着替えてから客席に集合、マエストロを始め、ソリスト、指導者陣からご挨拶をいただいた。
その後は地元合唱団から駆けつけてくれた仲間の待つイタリアンへ合流、プロセッコをご馳走になり、やや辛口の講評を承らせてもらった。29日にメルパルクで歌う第九のオケ合わせが新宿であったのだが、それだけの余力は残っていなかった。
文中敬称略