190516
国立西洋美術館は、言わずと知れたル・コルビュジエの作品。本来は、現在東京文化会館のある辺りも含めた用地に、大掛かりな芸術施設を作る計画があったらしいが、その後、予算を削られて、美術館および小規模な付属の建物に限られたようだ。その時、都にもし予算に余裕があり、ついでに後藤新平のような男がいたら、実現できただろう一大プロジェクトだった。
基本設計はル・コルビュジエ、実施設計はその弟子である前川國男、坂倉準三らが担当して、1959年に開館にこぎ着けた。一方、東京文化会館の方は、同じく前川國男の設計で1961年4月オープン。その年の秋には早くもNHK招聘イタリア歌劇団が3回目の公演を行なっている。
話がそれた。基本設計者の企画展であれば、当然その会場を利用することになり、普段常設展の会場がル・コルビュジエの作品群に充てられた。(常設は新館へ移動)
彼が唱えたピュリズムという、至極短命な絵画の流派、というか形式だが、それまでのキュビズムが禁欲的な色彩、あるいは対象物が、時代の変化に即応していないとして、まずアメデェ・オザンファンが唱え、その理論に共鳴したル・コルビュジエが乗ったということらしい。当時は、エドゥアール・ジャンヌレという本名を用いており、後に祖先の名前から、ペンネームあるいは画名として使用し始めたとある。冠詞の付く名前は比較的珍しい。
ごく身近に存在する瓶、グラス、水差しなどを直線、曲線、四角、三角、円錐などに落とし込み、パステルカラーを多用してひたすら制作しているが、そうはいうものの、キュビズムとの境界線はイマイチ判然としないのもまた事実だろう。
レジエはキュビズムだったが、途中から別の流れに移行、独特の世界観を生み出す。
結局、あいまいな立ち位置がわざわいしたか、ピュリズムという流れは7年ほどで消えていく運命。ル・コルビュジエも、途中から建築への興味が勝り、それでも絵はその後も書き続けていたらしい。
1928年に設計を始めた歴史的邸宅。建築史上のアイコン的存在。パリ郊外、ポワッシーにある。彼の理想が詰まった作品と言える。住宅の持つ明るさ、軽やかさの典型が示されている。
ピロティ、屋上庭園、鉄筋コンクリート、自由な平面、自由なファサード、細い柱など、彼の唱えた理論をすべて網羅し、外光を精一杯とりこめる工夫が随所に。
平日の午後3時頃だったが、意外に混んでいて、それも若い人の関心も大いに引いているようで、まことに喜ばしい。