190720
今年、3月、4月に続いて、すでに3度目の「こうもり」。しかも、3度ともアイゼンシュタインは、青栁素晴!
いずれも日本語上演だが、訳詞が必ずしも同じ版とは限らないから、これは歌手泣かせだ。ま、日本語だから多少、違った歌詞で歌おうとも聞く側はあまり気にも留めないと思われる。ただ、この日は日本語字幕も出されていたから、気づいた聴衆もいたのかも知れない。
マエストロは杉並区民オペラの理事長でもある大久保 眞。訳詞も自ら手がけた。元々は国立出身のバリトン歌手。2004年にこの杉並区民オペラを立ち上げ、以来、毎年総監督・指揮としても活躍中。
今回、なんと最前列だったので、舞台上部に投影される日本語字幕を見るには無理な姿勢となるため、ほとんど見ることはなかった。日本語上演でも、よく聞き取れないことがあるから、この方式は聴衆には大変ありがたいと受け止められたはずだ。
さて、気鋭の岩田達宗の演出、なんども観ていて、毎回感心させられるが、今回も演出が光った。こういうオペレッタになると歌手たちの技量もさることながら、演出のいかんが成否を分けることが多いと思う。その意味では大成功だろう。
オペレッタは観衆をいかに楽しませるかが身上、つまり笑いの要素をふんだんに盛り込む演出が好まれるのは当然で、海外では、大爆笑がなんども起きる公演が少なくない。普段何気なく見過ごしているようなシーンでも、今回は、結構笑いを取っていたと思う。
アイゼンシュタインの軽妙な演技はさすがに青栁らしくすっかり板についている。彼は、重厚な、いわゆるオペラ・セーリアやちょっと軽めのプッチーニの世界にもしっかり対応できるが、こうした喜歌劇のも独特のセンスが光る。
アデーレ(栗林瑛利子)やフランク(井上白葉)、ブリント(大野光彦)、フロッシュ(東 浩市)たちもそれなりに滑稽な歌唱や振りで十分観衆を楽しませてくれていた。
尤も、フロッシュには歌が割り振られておらず、3幕が開くと、舞台でなく客席の間で5分という時間を演出家から与えられて、寸劇を披露。合間に「大きな古時計」の替え歌(確か古女房に言い換えて)を歌い、あとはアルフレード(佐々木洋平)に絡むという寸法で場内を沸かせていた。制限時間を3分も超えていたらしいと後で知った。
進行役でもあるファルケを演じた北川辰彦、定評ある歌唱のみならず、長身美男ときているから、派手なコスチュームとあいまって、えらく目立つ存在だった。逆に、ファルケってこんなに目立っちゃっていいの?という感じがしたほどだ。
お調子もののアデーレを栗林瑛利子が巧みに演じ、歌った。声も演技も素晴らしい。また、スザンナに対する伯爵夫人同様、こちらのロザリンデも、どちらかと言うと、賑やかに前面に出ず、少し引いたところで奥ゆかしく輝くいう役どころで、そこをどう表現するかが難しいと思われる。
これが初役とは思えない力量を示したのが田島秀美で、抜群の安定感を示した。舞台姿も実に堂々たるもので、声域が少しばかり自身が得意とするところとは違うとされていたようだが、なかなかどうして、見事なロザリンデであった。
さて、オルロフスキー公爵だが、稀にテノールが演じることもあるそうだが、愚亭はまだ一度もテノールのオルロフスキーに出くわしたことがない。今回もメゾソプラノで、新宮由理が演じた。比較的大柄ではあるが、あとはメイクとコスチューム、シューズで工夫して、かなり権威ありげな風貌に。演技も歌唱もやや自制気味に通していた。もう少し、振りと喋りは大胆でも良かったような気がするが・・・。
杉並合唱団も見事の一言!失礼ながら、かなりの年配者も含まれているが、彼女たちの年齢にはすこし厳しいと思われる振りも、実に上手くこなしていたのが印象的。若い助演の男性陣のサポートがまた素晴らしかった。
大田区でもまだ先だが区民オペラとしてこの演目を取り上げることが決まっている。一般公募合唱団に幸い当選したので、大いに参考にさせてもらったが、あのような動きの多い振りにうまく対応できるか、はなはだ疑問である。穏やかな演出であることを祈るのみ。
ゲスト出演した杉並区の小学生が可愛らしかった。ついで同じくゲストで登場したイタリア人テノール、カリオラ・グイード(Guido Cariola)は「誰も寝てはならぬ」を歌った。この方、中部イタリアのラ・スペーツィア出身。別組のロザリンデ役、藤戸明子と結婚して、来日、現在千葉県在住という、ちょっとした変わり種。確かに、イタリアに残って、厳しいオペラの道への関門に挑戦するより、日本での活躍に賭けたのは一つの見識だろう。
後方に見え隠れしているのが杉並区民合唱団のみなさん。
#41 文中敬称略