200423
こんな記録が残されていたとは!1969年5月、あの悲劇的な事件からおよそ1年半前のこと。愚亭は社会人になって3年目。当時の学生運動のことはもちろん知ってはいたが、殊更関心を持って動向を注視していたほどでもなく、こんな熱のこもった激論を戦わせていたことは、チラっと人づてに聞いた程度。
この時44歳の三島は、千人の学生が待つ駒場へ向かった。今や遅しと彼を待つ900番教室は異様な熱気に包まれ、なにかが起きそうな気配も。現に最前列には、もしもに備えて、楯の会幹部も陣取っていたほど。
なにしろ当時の三島と言えば、現在では凡そ匹敵する者がないほどの人気と実力をほしいままにしていたいわば天才。それを相手に全共闘の猛者たちが議論をふっかけようという企画だから、猪木vsアリどころの騒ぎではない。
いうならば完全アウェイの状態で、三島は並み居る学生のなかでもとびっきりの論客たちを相手に威風堂々、終わって見れば、まあ大人と子供のようでもあり、学生たちを寄せ付けなかったのはさすがというべきか。いくら挑発されようが、泰然とし、学生達にある種敬意までも払いながら、自説を曲げることなくきちんと対応していたのにはただただ恐れ入る。
論客たちの中でとりわけ異彩を放っていたのが芥 正彦。彼と三島の論戦は息をのむほど凄まじい。いわば天才vs.天才のぶつかり合いだから、凡人にはなかなかついていけないが、まことにスリリング。
ただ学生たちがの中には、大先輩である天下の三島に対して、言葉遣いといい態度といい、終始無礼かつ非礼な者、少なからず。あるいは、三島がしゃべっているのに、やじを飛ばす学生も。それでも、三島は余裕で、一つずつ丁寧に答える姿が、ある種感動を見るものに与える。
全共闘の戦いもやがて自ら瓦解して、世の中の趨勢に飲み込まれて行く。当時の猛者たちのその後も映画では紹介されているが、最も先鋭的だった芥 正彦は、三島が自決したことにたいし、大願成就、よかったんじゃないの?と一言。
討論の中で、三島が仮に自分が君らと同様、非合法で暴力をもってして世間を騒がせ、官憲に拘束されるようなことになれば、その前に自決するなりして、潔く身を処すると、まるで1年半後の事件を暗示するようなことをさらりと言い放っている。そして最後に、「他はともかく、君たちの熱情だけは信じる」と。
終わって見れば、学生たちとは「対決」というよりむしろ「共鳴」「共感」のような形となったのが、良し悪しはともかく、何かホッとしたようなものを感じた。
#14