ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

生配信で、音楽劇を楽しむ。

200720 本来ならすみだトリフォニーホールでかかるはずだったこの演目、生配信となった。配信音楽会は、既にずいぶん行われていて、見る・聞く側にも違和感がなくなってきているのは、結構なことだ。また、通信技術も飛躍的に上がっていて、音質も映像も言うことなし。

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テノールの青栁素晴は下の名前をもとはると読むのだが、ご覧のようにそのまま読めばスバルとなる。愚亭も日頃から大物歌手をつかまえて、恐れ多くも「スバルくん」などと呼ばせてもらっているが、彼が企画したこの演目にはまさうってつけの名前ではないか。ハンドルにもしっかりSUBARUとある。

ヒッチハイクというタイトルの通り、トラックらしき大型車を運転するスバル、ほんとはオペラ歌手になりたかったが、夢果たせず、今はしがないトラック野郎、とやや自虐的に歌い始めるのは「黒田節xSANTA LUCIA」。

出身地の福岡を出たトラック、さっそく一人目のヒッチハイカーを拾うと、彼女は「大津へ!」と、なんとも態度のでかいツグミだ。VISSI D'ARTE, VISSI D'AMOREやらO MIO BABBINOなんか披露。スバル同様、車内で歌えばいいのに、やはり揺れるトラックでは歌いづらいか、その都度、いちいち下車。下車すると、そこはスタジオという仕様。

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二人目の”乗客”は、カープ女子のサヤカ。歌うは「うぬぼれ鏡」とI COULD HAVE DANCED ALL NIGHT。ツグミが降りると、今度はパリが一番と気取る厚化粧のデザイナー、アキコが乗り込み、さっそくフランスの香りたっぷりのJE TE VEUX (エリック・サティ)を披露したりで、車は北上を続ける。

次に、東日本大震災を経験した頑固一徹だが朴訥で、なまりのきつい会津っぽ、ヨシヒトを乗せる。「死んだ男の残したものは」と暗い歌を披露。これにつられるのように、スバルが突然下車。「イートハーブの歌」を。

朴訥なヨシヒトをからかうように、アキコが「あなたの声に私の心は開く」で誘惑するが効果なし。厚化粧女は趣味じゃないと言われてアキコが憤然と降りたら、入れ替わりに千葉出身のキョーコが乗り込む。VOI CHE SAPETEを披露、なぜかヨシヒトと絶妙なケミカル・リアクション、LA CI DAREM LA MANOで盛り上がり、その後も二人で宮沢賢治やら武満徹を歌って・・・・

いつの間にか、みんな居酒屋らしきところで思い思いのアルコールで乾杯していて、「春なのに」を全員で。さらに、尾崎紀世彦ばりにスバルが「また逢う日まで」を軽妙に歌い始めると、全員がそれに和して、旅は無事終了、てな趣向で90分。

ノローグや、無声映画のように黒字に白抜きで字幕が随所に。地震、台風、疫病で苦しむすべての人々に勇気と希望をもたらしたいと願って今日もトラックは行く、どこまでも。と思ってると、「えっ!」

ついでだが、愚亭は学生時代にヨーロッパをヒッチること、ざっと1万キロ!ヒッチハイカーとしては筋金入りを自称している。当時、日本の経済水準もまだまだ途上国で、イタリアにすら及ばない軽い存在だった。ただ、東京オリンピックを間近に控えていた時期だったから、日本や日本人に対する関心が強く、リュックに日の丸を貼り付けて合図すれば、結構乗せてくれた。まあ、危ない目にも遭ったが、いい思いをした方が圧倒的に多かったのはラッキーだった。

#12 文中敬称略