ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ウィーンに六段の調」(萩谷由喜子)

210721 

f:id:grappatei:20210721125340j:plain

愚亭の先祖は大垣藩主に客分として迎えられた摂津尼崎の武士でしたが、滞在中に藩士の娘を妻に迎え、大垣藩士となったそうです。その後、同じ尼崎の城主であった戸田氏鉄(うじかね, 1576-1655)が1635年に大垣に国替えとなり、戸田家初代の大垣城主となりました。時代は降って、1815年、いかなる事情か、藩主から「仁林」の姓を賜り、後藤五助から仁林五助と改名、これが愚亭にとっては4代前ということになります。

幕末の難しい時期に最後の藩主となったのが11代目の戸田氏共(うじたか、1854-1936)で、その妻がこの本の主人公戸田極子(きわこ、1858-1936)というわけです。前置きが長くなりました。この極子がなんとあのバッハ、ベートーベンと共にドイツ三大Bと言われたブラームスの前でお琴を弾いたというお話です。

f:id:grappatei:20210721125422j:plain

なにやらすごい衣装で思い切り腰を曲げて演奏する極子、それを難しい顔をして、楽譜を目で追うブラームス、右手には書き込みをするためか、筆記具を持っています。

この光景は、極子が在オーストリア日本帝国全権公使夫人としてウィーン滞在中に実際に起きたことです。1888年とされています。戸田家の音楽教師だったハインリッヒ・フォン・ボクレット日本民謡に大いに関心を抱き、その何曲かを五線譜に起こし出版して戸田家ほか、ウィーンの名士に献本した際、ブラームスのもとにも献本されました。

これに大いに興味を覚えたブラームスがぜひ実際に演奏を聞いてみたいとボクレットに頼み込んで実現したのがここに描かれている場面です。果たして実際に楽譜通りかを確認している様子です。見ている楽譜に実際、書き込みをし、その記録も残っています。ブラームスが後年、自身の作品に日本風の音階や響きを取り入れたかどうは判然としません。

上の写真の帯に書かれていますが、岩倉具視と娘として生を受け、大垣藩最後の藩主に嫁ぎ、そしてはるばるオーストリアにまで夫に随行した戸田極子、まさに波乱万丈の一生ですが、その子孫たちの活躍ぶりも本書には描かれていて、まことに興味がつきません。

一昨年だったか、元旦に現地から生放映されるウィーンフィルによるニューイヤー・コンサートで、幕間に紹介され流暢な日本語でインタビューに応じる団員の姿がまだ記憶に新しいのですが、これがヘーデンボルク三兄弟の長男、ヴァイオリニストのヴィルフリート・和樹氏です。次男はベルンハルト・直樹、チェロ奏者として、彼もウィーン・フィルの正団員になりました。さらに三男のユリアン・洋はピアノ奏者で、ヘーデンボルク・トリオとして活躍中という、なんとも素晴らしい一流音楽家三人を育てたのが戸田悦子さんとおっしゃり、戸田氏鉄の傍系の子孫ということです。

極子が慣れぬ異国で、言葉にも習慣にも苦労しながら夫を懸命にささえつつ、文化的にもウィーンで当時の音楽家たちと交流に勤めたことが、めぐりめぐってこうした戸田三兄弟の活躍に繋がっていると思うと、はるか昔のこととは言え、この戸田家に微かなご縁でつながっていた家の末裔としては、なにやら、つい誇らしく思えてしまうのでした。