221121 LA BATAILLE DU RAIL(邦題どおり)仏 1946 1h26m 脚本・監督:ルネ・クレール
日本公開は製作からほぼ10年後となる1955年春、愚亭は中2で、リアルタイムで見た記憶がかすかにあります。もしかすると、もう少し後年かも。
フランスがナチから解放されてすぐの1946年には公開され、大ヒットしたようです。名匠ルネ・クレマンの記念すべき第1作、そしてカンヌ国際映画祭で国際審査員賞第1回受賞作品となりました。
例のノルマンディー上陸作戦が1944年6月初頭、その後、巻き返しを図る独軍は兵站の輸送を鉄道に頼ることにしたのですが、そうはさせじと、レジスタンスがフランス国鉄と協働戦線を張り、必死で抵抗しました。
線路に細工したり、爆破したり、機関車を動かないようにしたりと、さまざまな細かい作戦を成功させます。なかには、独軍の装甲車を積んだ列車を谷底に落とすような大胆な計画も成功させます。
C.G.もなかった当時なのに、その迫力ある映像には驚嘆します。崖を轟音を上げて次々に落下していく列車、積載されていた装甲車など、ミニチュアには見えませんし、もし本物を使うなら巨額の製作費がかかったはず、いったい、クレマンはどうやったのか謎です。
そして、出演者はほぼ素人、こうした対独レジスタンスに実際に参加した人々、国鉄の労働者などが多数撮影に参加したそうです。とても素人には見えません。それだけに、独軍にまとめて銃殺されるレジスタンス運動家の姿が哀れで、とうてい涙を禁じ得ません。
それにしても、と思うのですが、フランスといいイタリアといい、ナチスドイツに国土を思うままに蹂躙され、アメリカを中心とする連合軍に救われた形となっていますが、そうした経験のない日本人の目にはかなり奇異に映る場面が少なくありません。
特にイタリアの場合は、さらに事情が複雑で開戦時は日本を含め三国同盟でドイツは言わば友軍、しかしアメリカ軍がシチリアに上陸してくると、友軍が敵軍に変わっていくわけで、感情的にも一般イタリア国民にはどうするのか、どうなるのか、どうすべきか訳が分からなかったに違いありません。
フランスはフランスで塹壕戦を簡単に破られてからは防戦一方で、やすやすとパリまで進軍され、かろうじてノルマンディー作戦成功で、まあ息を吹き返したわけですから、どうも初めから徹底抗戦という意思が薄かったように見えて仕方ありません。これがあのナポレオンを生んだ国なんでしょうかね。ラテン系はどうも戦いには向いてない?話が脱線しました。