ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

10年ぶりの旅行

250528 思い立って旅行に出かけました。未到の地、五島列島!体調不良の家内を置いての一人旅。

以下の日程通り、2泊3日で、@¥190,000でした。JTBの旅物語でも、少し上級のプレミアムコース。高品質のホテル、移動手段、贅沢三昧の食事、よく練られた観光内容、全行程ベテラン添乗員付を考えればコスパは上々!3日目を除けば好天に恵まれたので、大満足でした。

長崎までは2度ほど来ていますが、五島列島は初めて。隠れキリシタンのことでこの土地を知っている程度。

朝早い飛行機で長崎航空へ。東京発着で10名、名古屋発着が7名、一行17名で、ゆったりと回れました。一人参加は女性4名、男性は愚亭一人だけ。他は女性グループとご夫婦でした。

バスは一般的に45人乗りなので、快適でした。⬆︎このバスにはスマホのバッテリーチャージャーまで備えていました。

空港を出てすぐガラスの浜があり、小休止。そしたら、こんなモニュメントが。添乗員はスルーしましたが、日本人が初めて欧州との接点を持った極めて重要な出来事なのに、誰もがここを素通りするのが不思議です。

一人でしつこくシャッターを押しました。日本で最も早く教徒になった大村藩大村純忠らが、ヴァリニャーノの勧めで少年たち4人を派遣したのが1582年、8年後に帰国した時は時代が大きく変わり、過酷な運命が彼らを待ち受けていました。ちなみに仙台の伊達政宗支倉常長を欧州に派遣したのは、少年たちの30年後のことです。

これ、読めるといいのですが・・・。

ガラスの浜で。強風ゆえ、帽子を飛ばされそう

この後、一路長崎市内、南山手地区へ。

大浦天守堂へ向かう途中にこのようなものが

ポーランド出身の司祭で、1930年に長崎へ。後、逮捕されアウシュビッツへ送られ、そこで、他の囚人の身代わりの死を選ぶことなどから、聖人に列せられた人物。

ここにあるルルドとは南仏ピレネーの麓にある小村。そこで村娘ベルナデットが見たマリアのお告げで岩からの湧水に奇跡の効果があるとされ、世界中から信者の訪問が絶えません。愚亭も2度ほど行ったことがあります。五島には何ヶ所かルルドのレプリカがあります。

修学旅行と家族旅行で2度来ているグラバー邸

ここに来るとどうしても「ある晴れた日に」を歌いたくなります。(笑)今は、途中途中にエスカレーターが稼働していて、大いに助かりました。

ランチはガイドさんが勧めてくれた市中の何気ないお店「みらく苑」で皿うどんを。

復元した出島の中に、全体像が分かるミニ出島がありました。

いつか行ってみたい軍艦島行きの船が係留されていました。

我々が乗る高速船はこちら。ぺがさす号

福江島に上陸して最初に案内された鬼岳。寒風吹き曝し、一気に気温低下。

鎧瀬(あぶんぜ)まで下ったら、ちょっとあったかくなりました。背景は鬼岳。

宿はカラリト五島列島。素晴らしいコンセプト溢れるホテルでした。カラリトとは、からりと晴れた、そのカラリトと英語のCOLOR ITを掛け合わせた様子。白が基調のこのホテル、色をつけるのはお客様自身ですと、と言わんばかり。

朝食がまた豪華でした。

鮮魚の醤油こうじ焼、五島美豚の角煮、五菜とこんにゃくの炒め煮、揚げじゃがのそぼろあんかけ、焼きあごだしと麦味噌の味噌汁、五島産なつほのかの炊き立てご飯、おさかなの自家製ふりかけ、五島ほうじ茶出汁、季節のフルーツ

バルコニーからの眺め

大瀬崎断崖展望台から灯台を眺む

海の色が鮮やかな高浜ビーチ。曇天でも青かった。

五輪港から旧五輪教会へ

教会窓から外を眺む

島巡りはこのボートで。貸切高速船

みようみまねで日本人大工さんがいくつも教会を建てました。
天井もごらんのとおり、リブ・ヴォールト様式です。

2泊目も立派なホテルでした。マルゲリータ奈良尾 海ト空○ト星

島陰にマリア様の姿

中通島の北端にある青砂ヶ浦天守

頭ヶ島天守

天候不良で予定されていた高速船が欠航となった結果・・・この通り

普通のフェリーの船室はこの有様。壁際の人はよっかかれるからまだしも、そうでない、少し遅れて乗船した人たちはこの通り。3時間近い乗船時間、結局、このしばらく後、みんなごろごろ横になって寝てました。修学旅行でしか経験しないと思っていましたが・・・。まあ、無事が第一。これもまたいい思い出かも。

長崎到着時には雨が上がりました。空港へ向かいましたが、やはり飛行機も悪天候のため、30分遅れ。帰宅はほぼ真夜中となりました。

五島列島は、2018年にユネスコ世界文化遺産に登録された長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部として、多くの教会や集落が登録されています。潜伏キリシタンの歴史を語る貴重な遺産です。

ということですが、我々がこれまで知っていたのは「隠れキリシタン」でしたが、登録名称は「潜伏キリシタン」となっています。

これは、登録申請時に認定する機関イコモスから「隠れ」という語感に違和感があるから、「潜伏」に変えるようにとの指示があったとか。

ところが、その後も、依然として「隠れ」は存在しているそうで、禁教令解除後も先祖が帰依していたままのスタイルを貫き通す信者に限ってこう区別しているようです。「潜伏」の方は、普通のカトリック信者に転じたということになるのでしょう。事情は我々が想像する以上になかなか微妙かつ複雑です。