151123 日仏合作 126分 脚本・監督:小栗康平
評価が極端に別れる作品。確かに視点を変えるだけで、自分の中でも評価が割れる。映画は、前半がパリ、後半(前半より少し長いが)を日本での彼の足跡を辿るという手法で撮っている。
パリでは、当初食うや食わずの極貧生活から徐々に売れる画家へと変貌していくフジタを、彼の運命に大きな影響を与えた女性たちと共に描いている。生涯に5人の連れ合いを持った(結婚したのは3人?)が、本作で登場するのは、最初のフランス人、フェルナンド・バレー、2番目が肌の白さからユキと名付けたリュシー・バドゥー、そして最後の夫人となった君代(中谷美紀)である。また、モデルとして作品に登場する、モンパルナス界隈でその名を知られたキキの4人。(4番目のマドレーヌは登場せず)
1920代のパリ部分も、しっかりした時代考証に基づいて丁寧に作り込まれ、時代の雰囲気を上手く醸し出している気がした。彼は、モンパルナスで目立つ存在になり知名度を上げるために意識して、あの独特の風貌を作り上げ、ある種の奇行を重ねたと、フェルナンドに明かす場面がある。
開映後、大体75分ほどから、舞台は日本に移って、ここからの撮影の仕方は一転、小栗監督の真骨頂なのか、ため息が出るほどの映像美を追求していくことになる。映像の一つ一つが、これでもかというほど緻密で洗練されたフレームで迫ってくる。さらに音響がまた凝りに凝っている。
やがて時局の要請(しかも、彼の父親は軍医という環境)で、戦争画を制作せざるを得なくなるフジタ、自ら望んだわけでもないが、そうした状況に置かれれば置かれたで、持てる才能の限りを尽くすから、出来上がった作品は、世間を驚かさない訳がない。彼もまた、「アッツ島玉砕図」を見に来た人々が深く感動する姿を目の当たりにして、今更ながら絵の持つ力に感銘を受けるのだった。
しかし、フジタが一体どんなつもりで戦争画を描いていたか、そのことで、どれほど彼が深い精神的痛手を負って、逃げるようにフランスへ渡ったかに迫ることをこの作品は避けたように見える。「自分は日本を捨てたのではない。日本が私を捨てたのだ。」は、いかにも深い彼の苦悩を言い得て妙である。
冒頭に登場するシーンだが、彼が晩年暮らしたパリ南郊のヴィリエ=ル=バークルの家⬇︎で撮影されたと思う。愚亭も10年ほど前に訪れたことがあり、彼が生活していたまま、生活道具類一式もそのままにされていた。
できるだけ、当時の雰囲気を出そうとしたのだろうが、それにしても、画面の暗さはどうだろう。夜景などになると、何が何だか、分からない。それにちょっとでも単調なシーンになると、何度も眠気に襲われて困った。
晩年、最後の大仕事となったのは、ランスの通称シャペル・フジタ(正式には、Le Notre-Dame-de-la-Paix de Reims)の堂内一面にキリストの生涯を壁画で描いたこと。そして、君代夫人共々、フジタはここに埋葬されている。
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