210310
我が家から徒歩圏内の散策物件はほぼ見尽くした観があり、今日は眩しい陽光に誘われて、池上線で10分の洗足池へ。嘗て、隣の石川台に住んでいたことがあり、この池には何度か足を運んだことが。また池畔のフレンチレストランには歌仲間夫妻たちと、カルテット練習の後に、ワインで喉を潤したことが思い出される。
海舟については、若き日、けっこう関連本を読んだり、テレビドラマを見たりしているから、あらかたのことは知っているつもりであったが、それがそれほどでもないと、思い知らされた。
館内は2階の一部を除いて撮影禁止。なかなか凝った展示方で、学芸員たちの苦労が忍ばれる。スペースの関係で大量の展示物にすこしでも詳しい説明を施そうとしているからか、いきおい文字が小さくなり、視力にさほど問題のない愚亭でも次第にくたびれて、途中から端折って見学せざるを得なかったのは残念!
2階に上がって、大広間で座りながらオーディオヴィジュアルで彼の偉業をおさらいしてから退館した。この間、1時間ほど。
まずは裏手にある海舟夫妻の墓参り。
ネットで調べると、はたせるかな・・・以下のように解説が。
「池月」(いけづき:生月)は源頼朝愛用の名馬。
1180年(治承4年)に源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れた後、海路安房(源頼朝上陸地)へと渡り、鎌倉へと向かった。
その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待ったという。その折、どこからともなく野馬が飛来。その嘶く(いななく)声は天地を震わすばかり。
郎党が捕らえてみると、逞しい馬体は、青い毛並みで白の斑点を浮かべていたという。突然、源頼朝の前に現れたこの野馬は、「池に映る月影のよう」であったことから「池月」と名付けられ、頼朝の乗馬とされた。
これより前、源頼朝は「磨墨」(するすみ これが萬福寺境内にあるもの)も得ており、今また「池月」を得たことは平家征伐軍の成立の吉兆であるとして、征旗を高らかに掲げたという。