ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「カユボット展」@ブリヂストン美術館

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好きな印象派画家の一人であるカイユボット展がブリヂストンで開催となり、さっそく行って来た。詳細➡ http://www.bridgestone-museum.gr.jp/caillebotte/

期待通りというか期待以上の内容にすっかりご満悦。63点の展示だが、そのほとんどと言える54点が油彩であるのが嬉しい。印象派と言えど、前期はかなり緻密な写実派で、後期になると、一転、ピサロやモネの作品かと見まごうような、かなり粗い筆致になる。(「オスマン通り、雪景色」作品番号30など)

ギュスターブ・カイユボット(1848-94)は、裕福な生まれで、印象派作品の収集家としても知られているし、また仲間の画家を金銭的に支援もしていたらしい。パリ市心に高価なアパートを何軒か所有していただけでなく、パリ郊外南西16kmにあるイェール(Yerres)にも11ヘクタールという広大な土地や邸宅を所有していたという。

従って、作品は市内、或は自宅内部、自宅から見たパリ市内の風景が多く、それゆえ「都市の印象派」という副題がつけられたほどだ。加えて、郊外での田園生活を満喫していた様子も、敷地内を流れるイェール川でのカヌー遊びや周辺ののどかな風景を多数残している。生前から裕福な生活を送った画家としては、エドガー・ドガもよく知られているが、45歳で没してしまったことが誠に惜しい。(ドガは83歳と長生きした)

当時としてはまで珍しかった写真機を弟が所有していて、様々な機会に盛んにシャッターを切っていたようであり、珍しい当時の生活振りが本展でも多数紹介されている。

彼が生きた時代のパリは、丁度オスマン男爵がパリ県知事に就任、ナポレオン3世の命を受けてパリ市大改造に着手し、それまでの悪臭に充ちた狭い通りから、一気に大通りを縦横に貫通させ、世界に冠たる大都会として完成した、まさにその時代である。

何かそうした新しいパリを祝うかのように、誇らしげにパリの街角を多数、それも精緻な筆致で描いているところにもカユボットの特徴があるような気がする。

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⬆サンラザール駅近くの跨線橋、ヨーロッパ橋。マネにもまたこの付近で描いた有名な母と娘の作品がある。

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八叉路、デュブラン広場。トリノ通り方向から描いたようだ。まだ車はほとんど通っていない。

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パリの邸宅の一室でピアノを弾く弟。このエラール社製と同型のピアノが会場に展示してあった。

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これも「都会の印象派」の典型である。オスマン通りに面する邸宅のようだ。

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邸宅での昼食。正面は執事から肉料理を自分の皿に移す母、右側は弟、そして手前は画家自身だろう。自分の皿が半分だけ見えるが、真上から見た形になっているところが、後のキュービズムを感じさせるようで、愉快だ。硝子器がところ狭しと並んでいる。

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弟が撮影したカイユボット。後に住むことになるスクリーブ通り9番地の邸宅。バルコニーからオペラ座が見える。

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イエールにある別邸で過ごす時は必ずイエール川でボート遊びに興じていた様子が伺える一枚。ボートにシルクハットという取り合わせがおかしい。

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⬆この作品はオルセーにある彼の代表作。今回は残念ながら展示されていない。初めてこの作品を見た時の興奮は忘れられない。カイユボットの名前と一緒に。