ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「家へ帰ろう」

190103 原題:EL ULTIMO TRAJE (最後のスーツ)アルゼンチン、スペイン合作 93分、脚本・監督:パブロ・ソラルス

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第二次大戦末期、ナチス絶滅収容所から奇跡の生還を果たし、今はアルゼンチンで暮らしているアブラハム、一緒に暮らす娘や孫たちから老人ホーム行きを説得され、不愉快極まりない日々。

そんな折、自分があの時、奇跡的に命を永らえるきっかけとなった人物を思い出す。そう言えば、まだあそこで暮らしているかも知れないと、ほとんど勝ち目のない賭けに打って出る。その人物に、仕立て屋である自分の渾身の最後の”作品”を贈ろう。そう決めると、即行動に移し、誰に別れを告げることなく、アルゼンチンを後にするのだった。

マドリッド、パリを経由してとうとうポーランドの田舎の村へと。果たして、その人物は?

ちょっとデジャヴュ感のある作品だが、よく出来ている。頑固一徹な主役を演じる俳優がいい。一見して無骨で、分からず屋だが、どこか憎めないどころか、実は大変愛情深いタイプだから、とっつきは悪いものの、少し内面を知れば誰からも親切にされる。

そんな風にして、最終目的地までの道中、見知らぬ人から考えられないほどの親切を受けるのだ。

この邦題は、ラストシーンに出てくるセリフから採用。原題の「最後の一着」よりはいいと思う。

それにしても、パリの東駅のインフォメーション・センターの対応には大いに首をかしげる。主人公がスペイン語で話しかけるが、フランス語でしか応じないだけでなく、次に「英語は?」と言われても、英語も分からないと答える。いくらなんでもこれはあり得ない。脚本、ダメじゃん、これじゃ。スタッフが二人もいて、隣の国々の言葉が出来ない?!昔はわざと分からないふりをするフランス人がいたのは周知の事実ではあるが。

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パリ東駅のインフォメーション・センターで、言葉が通じなくて、仕方なくこんなことをするアブラハム

見かねたそばにいた旅客の一人が、イーディッシュ(ヘブライ語の混じる高地ドイツ語)で話しかけると反応するものの、相手がドイツ人と分かると、途端に口を閉ざす。ナチスと現代ドイツが彼の中では今だに渾然一体となっている。ドイツを通らずに列車でポーランドに行きたいというのが彼の願いだが、あまりに非現実的。最終的にはそこは折れるしかなかったのだが。

まあ、でもこの種の話も、すでに時代が経ちすぎて、そろそろ枯渇していくんだろうか。

#1 画像はIMDbから。

今年も歌い納めは第九@メルパルクホール

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1週間前に労音第九で東京文化会館で歌った第九の締めくくりはこれ!今年だけで4回目の第九(通算10回目)となる。これで、自分の中では第九の歌い納めにしようと決めた。

歌える人は、極端な話、当日ゲネからの参加でもOKとは聴いていたが、2度ほど練習に参加した。やはりマエストロがどのような振り方をするか、ドイツ語の発音はどうするか、事前に確認しておかないと不安でもあるし。

結果として、1週間前以上の出来栄えになったと思う。歌ったことのある人がほどんどであり、あちこちの合唱団で活躍中の顔見知りが少なからず、失礼ながら、労音第九に比較すると、かなりの差を感じざるを得なかった。やはり第九を歌うには140人ぐらいがちょうどいいのだろう。

古澤マエストロ、とても好感の持てる方でしかも気さくかつチャーミング。振り方も分かりやすく、こういう方の指導で歌えるのはありがたいことだ。最後のPRESTISSIMO、超特急で、これまで歌った第九ではおそらく最速。最後に、会場も和しての「蛍の光」で幕。

独唱者では、テノール澤崎一了が飛び抜けて素晴らしかった。この人、声もガタイもかなりの大型で、日本のオペラ界で期待の星の一人であることは疑いもない。自分は4列目だったからいいようなものの、その前の列で、彼の後ろに位置する団員の中にはソリストたちが歌い始めると、彼のおかげでマエストロが見えなくなる人もいて、体を右に左に寄せていたのが気の毒だった。

このオケ、実に素晴らしい!とりわけ、マエストロ自身がコンバス奏者でもある理由からか、弦の低音部の効きがよく、4楽章の例の箇所、出だしは鳥肌もの!

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カメラマン撮影の画像、お借りした。

⬆︎カーテンコール。右端は合唱指導の高森義之(ザルツブルク在住)合唱団の中央、後ろから2列目に。


ところで、この会場、東京文化会館オープンの10年後、1971年のオープンというから、まもなく50年。1,600近い座席数は魅力だが、いかんせんそろそろ改修が待たれる。舞台裏、楽屋周りも薄汚れているし、なぜかどこもかしこもタバコ臭いのには閉口する。

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男性コーラスがあてがわれた控室

いちいち靴を脱いで入る控室の使い勝手の悪さよ!多目的ホールだから、仕方ない。和室控室は初めての体験。

(文中敬称略)

 

「私は、マリア・カラス」

181228 MARIA BY CALLAS 仏 113分 製作・監督:トム・ヴォルフ

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初めてマリア・カラスの全貌を明かした作品。これまで何本かこの稀代のディーヴァを扱った作品があったと思うが、本作でほぼ語り尽くされた観あり。

このトム・ヴォルフという監督、さほどマリア・カラスに興味があったわけでなく、寧ろよく知らなかったらしいが、その彼が各国を回り、資料集めに3年以上もかけたというから、彼女関連の資料はここにほぼ出尽くしたと言えるだろう。

そうした膨大な資料から厳選した映像、音源、それをアメリカでのテレビインタビュー、フランスでのインタビューと本人独白(朗読:ファニー・アルダン)を軸に、ほぼ時系列で2時間余りに編集してあるので、彼女の生涯が、これで余すところなく描かれたと思える。その意味でも、限りなく貴重な作品!

それにしても53歳で没したことが惜しまれてならない。また、彼女の全盛期が1940年代後半から1960年代初頭と、10年あまりだったということもオペラファンから見れば物足りないが、本人が後年述懐しているように、彼女に対するやっかみ、嫉妬などに起因した心ない中傷や、30歳近い年齢差がある、最初の夫、ジョヴァンニ・メネギーニとの不仲、離婚などで、心身ともに疲弊していた時代が長かったことを考えれば、あれが限界だったのだろう。

不世出のディーヴァであることは疑いを入れないが、本作に登場する数々の超絶歌唱に接すると、やはりというか、今まで思って以上のうまさ、すごさに戦慄を覚えるほど。当時、唯一対抗馬となりえたと思われるレナータ・テバルディとは、得意とする演目が多少異なることで、二人の確執も伝えられるほどではなかったかも知れない。

カラスが得意としていて、テバルディがさほどではなかった演目はいわゆるベルカント・オペラで、ロッシーニドニゼッティベッリーニなどによるオペラを指すことのようだ。カラスにとって運命的だったのはベッリーニの「ノルマ」、これがどれだけ喉を酷使するかを知っていたテバルディは、歌手寿命を保つために敢えてこの役を避けていたと言われているほど。

1958年1月2日、ローマ歌劇場で、当時のイタリア大統領臨席での「ノルマ」の舞台で”それ”が起きた。喉の不調で、1幕で降りてしまったのだ。当然、会場は大騒ぎとなり、マスコミなどにも叩かれまくった。この記憶は長くカラスを苦しめたようだ。

彼女の口からは語られていないが、パリ、あるいはフランス人に対する好意的な発言は、どうやら「イタリア人、あるいはローマ人に比べて」という含意があるのではとつい邪推してしまう。

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1950年代のパパラッツィ。手にしているカメラはローライフレックスかな。

この人、ブルックリン生まれ育ちで、英語は母国語と言えるものだが、アメリカンではなく、かなり素養の高いタイプの発音であり、またフランス語も完璧に喋れたのはさすがギリシャ人だと頷かせるものがある。

本作には一度もその場面はなかったが、イタリア語もうまく喋れたはず。後年、映画初出演となる「王女メディア」の撮影現場の様子が映る。トルコのカッパドッキアが舞台で、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督と親しげに話すシーンが映るが、残念なことにパゾリーニ監督が超イタリア訛りのフランス語をしゃべるので、彼女のイタリア語は聞けずじまい。

9年間も続いたオナシスとの関係もジャクリーヌ・ケネディーの登場で終焉、インタビューや独白(フランコ・ゼッフィレッリ監督の「永遠のマリア・カラス」で彼女を演じた女優ファニー・アルダンが読んでいると後で知った)では、恨み節も聞かれるが、のちに撚りを戻し、いい関係を維持できたそうだ。しかし、同時にジュゼッペ・ディステーファノと深い間柄になり、二人で1974年、ワールドツアーへ。映画では、ハンブルグ、ベルリン、アムステルダム、そして東京でのリサイタルの様子が次々に映る。

日本では、4ヶ所で歌ったらしいが、ツアーの最後、そして公式演奏会の最後がよりによって札幌とは!そこが、この偉大なディーヴァの最後の舞台だったというのは、あまりにも哀しい。3年後の77年、パリの自宅で心臓発作で亡くなる。

映画の最後の方で歌われた「アンドレア・シェニエ」からのLA MAMMA MORTA(亡くなったお母さん)は本作での絶唱と言われるような演奏で、ジーンと来てしまった。(ちなみにこの録音は、トム・ハンクス主演「フィラデルフィア」('94)での見せ場で使用されている)

彼女の演奏会に現れるセレブたちの豪華のことと言ったら!エリザベス女王、クイーン・マザー、エディンバラ公エドワード8世、シンプソン夫人という皇族を始め、政界の大物、アンナ・マニャーニジャン・コクトーなどなど。舞台では、名テノールフランココレッリが度々共演者として登場するが、あれだけのテノールでも、カラスの前では小者に見えてしまうからねぇ。彼女がどれだけのオーラを放っていたかってことでしょう。

ところで、大写しの歌う表情を見ていて気づいたことだが、彼女、口をあまり、というかほとんど開けないで歌うのが、他のプリマとは大きく異なる点だろうか。よくあの程度の開け方で超高音の発声ができるものと、不思議な感じがする。一般的には、例えば夜女の有名な箇所で、ほとんどのソプラノがこれ以上開けられないほど大口になるのだが・・・。

#87 画像はIMDbから。

 

「斬、」

181226 時代劇の新境地を開いた塚本晋也作品。製作・脚本・編集・撮影・監督・主演というから、マイナー部分を残して全部自分でやっちゃったという作品。「野火」も見ているが、かなり似通った画面が出てくるし、また黒澤の「7人の侍」なども意識していなかったろうか、訊いてみたくなる。

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江戸末期の時代設定で、時代から取り残されそうになる侍の悲哀が画面から滲み出る。農家で農作業を手伝いながら食いつなぐ貧乏浪人(池松壮亮)、それを慕う農家の娘(蒼井優)、江戸行きを誘う剣豪(塚本晋也)。三者三様の思惑から、悲惨な結末を迎える。

全編を流れる時代劇に似つかわしくないほど強烈なサウンド、立ち回り場面のカメラワークはハンドカメラを駆使して臨場感に溢れている。敢えて彩度を下げた色彩が陰惨さを際立たせる。時代劇としては初めて味わう感覚だ。

後味はよくないが、塚本晋也の才能には改めて脱帽!また、池松、蒼井の抑えたフレッシュな演技にも好感を抱く。蒼井に、敢えて現代風なセリフ回しをさせているのが面白い。

さてこのタイトル、斬の後にコンマをつけないと、検索には引っかからないかも知れない。「君の名は」を思い出す。狙いはなんだろう。

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ヴェニス国際映画祭コンペティション部門出品作品

#86 画面はALLCINEMA on lineから。

青島広志ワールド@アプリコ大ホール

181224 自分でもまさかと思えるような公演の切符を買っていた。

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以前はバレエには目もくれなかったから、随分な宗旨替えだ。アプリコでやるクラシックものはなんでも買うようにはしているが、こういうジャンルは珍しい。そもそもは青島広志の講座が好きで、これまで数知れないほど聞きに行っている。話が深いし、語り口が面白くて、まず裏切られたことは一度も。

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舞台はクリスマス仕様になっていて、雰囲気を盛り上げている。今日はこんな演目だから、子供の姿も結構目立つ。それを意識して、青島節もかなり控え目で、その点では、やや物足りなさは残ったが仕方ない。

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2階バルコニー席最前列から

バレエカンパニーに付随しているオケらしいが、東フィルのメンバーがかなり含まれているらしく、弦も管も実に素晴らしい演奏をしてくれた。

第2部では、宮尾俊太郎が見事な踊りを披露、素人目にもうまさが際立つ。その後、青島さんと進行役を務めたが、これがまた手際もいいし、青島さんとのからみも見事にやってのけた。

くるみ割り人形の演奏も素晴らしいものだったし、それに合わせたバレエダンサーたちの動きには見とれてしまった。これまで、余りこういうことはなかったのだが、なんだか不思議な感覚を覚えた。

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中央が宮尾俊太郎

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右端が青島広志

青島広志の本格的な指揮ぶりを今日のように長く見たのは、多分初めて。軽妙なトークは相変わらず。加えて、会場にクリマスキャロルを歌わせて見たり、スタンディングオヴェーションをやらせて見たり、会場の湧かせ方はさすがだ。

#76 文中敬称略