171211 原題:FRANTZ(フランツ、ドイツ人の典型的な名前。普通はFRANZと綴るが、フランス人はしばしばこのようにミススペルするらしい。フランスに発音が近いこともあり、敢えてこのように綴るとする説も)アメリカ映画「私の殺した男」(1932 )のリメイク。脚本・監督:フランソワ・オゾン
今は亡き婚約者の親友だったということで、死後葬いに訪ねてきた人物が思いの外、好感が持てる男とすれば、人知れぬ胸騒ぎを感じるのは、年頃の女にすれば無理からぬことではないか。それがたとえ外国人だとしても。まして同居している婚約者の両親までもが好感をいだいているとすれば尚更だろう。
一旦別れたものの、近況をさぐりに国境を超えてその人物をやっと探し出し、豪壮な貴族の館に住んでいるのを発見したら、もう夢見心地。でも、甲斐甲斐しくそばで世話を焼く女性を見たら、どうなるのか。冒頭からエンディングまでの、この女性の心の揺れ具合を、時にカラー画面を織り込みながら、静謐な白黒画面に描き出すオゾン監督の冴えを久しぶりに感じた。
「婚約者の友人」というタイトルからすれば、男が主人公になるのだが、実際には女の方が主人公であるのは間違いない。このアンナという役を、オーディションで射止めたパウラ・ベーアという女優が透明感のある表情でうまく演じている。
一方、アドリアンを演じるピエール・ニネは「イブ・サン=ローラン」で主人公を演じ、なるほどサン=ローランらしい雰囲気をプンプン出していたので強く印象に残っている。くっきりした目鼻立ちだが、いかにも華奢で線の細い俳優は本役にはぴったり!
舞台は元東独に属する小さな町、クヴェードリンク。アンナが石畳をコツコツ鳴らしながら花屋で白い花を買い、町外れの墓地へ向かうところから始まる。モノクロ画面が美しい。どこからどのようにカラーに転換するのかと思うと、カラー部分は圧倒的に少なく、せいぜい2割程度。それも、時代の違いで使い分けるのではなく、恐らくは主人公の心の変化が生じたところで、巧みに使い分けているような気がする。カラーと言っても彩度をかなり抑えているので、ジワっと変化する感じで、エンディングでは、それを実に効果的に使用している。
最後は、アドリアンがアンナの婚約者のフランツとしばしば通ったという(実はアドリアンの作り話だが)ルーブル美術館、そこにあるマネの「自殺した男」という、なんともイミシンなタイトルの作品を、前にあるベンチに座ってじっと眺めていると、となりの先着の男から「この絵、好きなの?」と問われ、ここからカラーへ変わり、彼女の顔いっぱいに微笑みが。
オゾン監督らしい、いたずらというか茶目っ気ぶり。アンナはこの先、婚約者の両親が待つふるさとクヴェードリンクに戻るのか、はたまた・・・。
戦争とは言え、自分の後継者になるはずだった一人息子を葬ったフランス人に激しい憎悪を燃やす父親、見るからに頑固一徹という風貌の医者で、患者と思って診療所に通した男がフランス人と知るや、問答無用に追い払うほどの激しさだ。
ところがのちのち事情を知るにつれ、訪ねてきた男に対する心情が徐々に揺らぎ始め、アンナをパリに送り出す駅頭ではグーテ・ライゼの代わりに「ボン・ヴォヤージュ!」というほどの変わりよう。
こんな両親に真実を打ち明けるわけに行かないアンナ、苦悩の末、嘘をつき通すことを決意するところが切ない。この先、どのような決着が待っているのか、見る者に任せられちゃうところが逆に辛い。
#84 画像はIMDbから。
話はまったく変わるが、先日たまたまテレビを見ていたら、日本最初のアイドルといういことで、明日待子という方のことを報じていた。健在でただいま97歳。この方が活躍していたのがムーランルージュ新宿座という劇場で、学徒出陣が決まった学生たちが軍服姿で、待子に最後の別れにきたこともあったらしい。番組では、そんな学生の一人で現在95歳の元学徒兵が待子に再会するという感動的場面も流していた。
ムーランルージュ新宿座に興味を持って、調べると、南口にあったという。そして跡地にはビルが建て代わり、最近ドンキホーテとラスベガスというパチンコ屋が入居したとあったが、今日行った映画館の近くなので、撮影しておいた。⬇︎
しかし、ウィキペディアに掲載されていた写真を見ると、どうも反対側のように思える。奥に高島屋の窓が映っているので、左右が逆のようだ。