140212 原題:RUSH 「プライドと友情」という副題は、何かとってつけたような違和感あり。米 124分 程よい長さだ。[監]ロン・ハワード(多作、「アポロ13」、「ダ・ヴィンチコード」、「フロストxニクソン」など優れた作品多し)、[脚]ピーター・モーガン [出]クリス・ヘムズワース(豪、まだ31歳と若い。日本公開10作品のほとんどが、CG多用作品。体つきからか、マッチョなヒーロー役が多い。実在の人物を演じるのは初めてか?)、ダニエル・ブリュール(47歳、バルセロナ生まれのスペイン系ドイツ人というのか。日本公開14作のうち10作を見ているから、愚亭にはよほど相性がいい俳優)
カーレースファンなら必見。そうでなくても、十分楽しめる佳作。実際、映画館では女性客の方が多かった。70年代を中心に活躍したF-1界の両雄、ジェームス・ハント(英)とニキ・ラウダ(墺)に焦点を当て、レースの様子を存分に堪能させてくれる。CG特撮だろうが、どうしたらあんな映像が出来るのか、圧倒されっ放し。実写はほとんど使っていないというから、余計に不思議だ。
1976年のF-1世界選手権も、いよいよたけなわ。8月1日は第10戦、ドイツグランプリ。舞台は危険なカーブだらけで悪名高きニュルブルクリンク。当日は雨、危険すぎるとレースの中止を訴えるニキ・ラウダの姿が。そこまで順調に勝ちを伸ばし、既に5勝、対する対抗馬、英のジェームス・ハントは2勝。当然、ハントらは決行を主張。結局、多数決で雨天決行,出走する。
果たして運命の大事故が起きる。F-1ファンならずとも、大きく報じられたこの事故を知らない人は少ない。ヘルメットを飛ばされた頭部を中心に、400度の炎を数分浴び続けたラウダ、誰もが最悪の事態を予想したが・・・
彼が生死の境をさまよっている間に、着々と勝ちを重ねるハントへの対抗心が、彼の不屈の魂を目覚めさせる。肺に直接管を突っ込んで、溜まった膿を吸い取るなど、必死の治療と皮膚移植を繰り返して、事故から42日後、北イタリアのモンツァのレース場に彼の姿が。しかもいきなり4位の好成績。対するハントはリタイア。
⬆モンツァに突然姿を現したラウダに熱狂するイタリアのファン
⬆実際の二人の画像。確かにハントはいい男ぶりだ。
そして、ほぼ互角で迎えた最終戦は日本の富士スピードウェイというから、日本のファンはどれだけ熱狂したことだろう。当日は土砂降りの雨。結局、レースは決行されたものの、大事を取って、ラウダはゆっくり2周してリタイア。ハントは3位に食い込み、逆転総合優勝。
かくもドラマティックな結末を迎えたF-1ワールドツアーがあったろうか!しかし、そんことよりも映画が描きたかったことはあらゆる面で対照的な生き方をした、この二人の天才レーサーの対決と友情だろう。
いつも美女に囲まれ、楽しげなハント。それを苦々しく遠目で見やるラウダ。
方や直感的、刹那的、享楽的なハント、こなた何事にも冷静で、理詰め、科学的センス溢れるラウダ。合うはずのない二人、知り合った頃から互いに相手を牽制し、時に罵倒する。しかし、天才ドライバーであることは互いに認め合っており、ラウダの大事故をきっかけに、相手に対する感情にそれぞれ大きな変化が。
僅差で年間チャンピオンになった後、偶然出会った二人が交わす会話がいい。互いにこれまで通り口であざけりながらも、深い友情で結ばれていることがさりげなく分かる。
最後に、ラウダのナレーションで、ハントのその後が語られる。ハントはこの年、頂点を極めたことに十分満足し、数年後F-1の世界から突如引退。解説者となるも、93年、45歳で心臓発作で没する。短くも、まことに派手な人生だったようだ。
因に、ラウダは翌77年リベンジで2度目、更に84年と3度世界チャンピオンになっている。その後、航空機に興味を持ち、自らの航空会社を設立しているが、それも手放し、現在は名誉職的な仕事のみ。現在65歳。
ファンならずとも、知っていることだが、60年代にはジム・クラーク、グラハム・ヒル、ジャキー・スチュアート、70年代には上の二人、80年代、セナとプロスト、90年代、マンセル、シューマッハ、2000年代にはアロンソが登場して、F-1市場をにぎわしている。
蛇足ながら、愚亭は入社した1966年秋、富士スピードウェイでインディ200マイルを観戦。目の前でグラハム・ヒルがリタイアして、すぐそばを歩いて行ったのを鮮明に覚えている。その時はジャッキー・スチュアートが優勝。遠い昔の話。
カーレースの映画では、「グラン・プリ」、「栄光のル・マン」などが特に印象に残る。最初に見た作品は、小6で見た「ジョニィ・ダーク」(1954)(トニー・カーティス主演)
#12 画像はALLCINEMA on lineから