170831 原題:PATERSON 米 118分 脚・監:ジム・ジャームッシュ(64歳、日本公開作品、多数だが、これまで一本も見ていない)
パターソン(実際の発音はパタスンで、アクセントは最初に来る)は、ニュージャージー州の、何の変哲もないありふれた地方都市の名前であると同時に、主人公の姓でもある。
その町で、パターソン(アダム・ドライバー)は美人妻、ローラ(演じるゴルシフテ・ファラハニは、イラン映画界の名花であり、フランスやハリウッド映画でも活躍中)、メスのブルドッグ、ネリーとひっそりと、穏やかに暮らしている。
映画は月曜の朝に始まり、1週間後の月曜の朝で終わる。ほぼ均等に割り当てられた時間で、淡々と物語は進んでいく。ちなみにラストシーンは冒頭のシーンとまったく同じ。
主人公はこの街のバス・ドライバー(俳優がドライバーという姓なのも何かの因縁)で、毎朝、定時(6時半頃)に一人で起きて、側の椅子の上にきちんと畳まれた服を着て、同じ朝食(コーヒーとシリアル)を摂り、妻が用意しているブリキ製のランチボックス⬆︎を下げて、近くのデポー(バスの車庫)まで歩いて出勤。
そして、出庫係が来るまで運転席で、詩を書くのが唯一と言って良い楽しみのようだ。仕事が終われば、再び歩いて自宅へ。郵便受けから郵便物を取り出し、妻の元へ。
夕食後は、ブルドッグのネリーを散歩に連れ出し、途中のバーでジョッキ一杯のビールを飲み、バーテンや来店客と世間話をして戻る。
毎日、少しだけ普段と違うことがどこかに差し込まれている。妻はカップケーキを作ってバザーで少しだけ儲けようとせっせと準備しながら、ギターをゲットしてカントリーを歌う夢がある。モノクロームと水玉模様の連続パターンが好きで、自分の衣装やカーテン、カーペット、ベッドスプレッドなど、彼女の趣味で溢れかえっている。
ある日、バスが故障、代替バスを呼ぶにも、日頃からケータイは持たない主義だから、さて困った。客の一人から借りて一件落着。(スマホ、持たないのに、鮮やかに使いこなすのは、どう見てもヘン)
夜、ネリーを連れて散歩していると、通りすがりの若い連中から、因縁をつけられそうになり、そのブルドッグ、ジャックされねーようにな、と捨て台詞を残して去っていく。結局、何も起こらないのだが、そうした思わせぶりな場面、少なからず。
日曜バザーで、カップケーキが飛ぶように触れて、ローラは286ドルも稼ぎ、ご褒美にと、レストランで外食と映画という提案。外出中に、一人残されたネリーは腹いせに詩を書き溜めたパターソンの大事なノートをズタズタに。ローラの進言で、翌日、コピーを取ることにしていたというのに!
⬆︎随分古い映画をやっている。結局、右側の「獣人島」(1932)を見るのだが、左側の「凸凹フランケンシュタインの巻」(1948)に出ているルー・コステロは、この街出身の唯一と言っていい有名人。)
傷心のパターソン、町外れの渓流のそばのベンチで、ぼんやりしていると、いきなり実直そうな男が声をかける。座ってもいいかと。怪訝な面持ちで一応「どうぞ!」
この日本人(永瀬正敏)、詩が大好きで、この街出身の詩人、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズに敬意を表するために来たことを問わず語りに明かす。表情には出さないものの、大いに共鳴するパターソン。しばしの会話の後、互いに名前も名乗らず、別れる。永瀬の最後のセリフ、"Excuse me, Ah ha!"
ハリウッド作品には珍しいしっとりした佳作だ。”もの凄い”感の溢れかえる中に、こういう静謐な、淡々とした日常風景だけを掬い取ったような作品は貴重だ。まるでヨーロッパ映画のような印象を受けた。BGMも素晴らしいが、極端に少ない台詞だけに、ひとつひとつの会話が鮮やかに耳に残る。
#57 画像はIMDb、およびALLCINEMA on lineから。